ゲイでいいとも ④ 「ヴェニスに死す」

 

ベニスに死す [DVD]

ベニスに死す [DVD]

 

  いきなり古典&伝説の「BL映画」に挑戦しようとはっ

 思っていなかったんですけどね。でもこの間私も例の「君の名前で僕の名前を呼んで」を観に行ってですね、ああやっぱりべニスに死すの二十一世紀バージョンなのねぇ・・・と(文学作品としてにしろ映像版にしろ)感慨深かったものですから、今語るのがなのではと。それから私世代は思春期にビスコンティの映画ファンに予め徹底教育されたもんですから「ビスコンティの映画に出てくる女優の顔は皆どっかブスい」だの「いやあタジオ少年って顔だけで体つき胴長でイケてない」だのといろんな他人の錯綜した感想が頭に入り込み、正直自分としては結構キチンと観た筈なんだけど実ははっきりした特色とか印象がぼやけてんだよねと長いこと思ってました。この前久しぶりに観る機会があったんですがちょっと驚いたといおうか、ビスコンティって仏映画の巨匠ルノワールの下に助監督でついていたのは知ってたんですけど、どうも師匠ルノワールに対して影響という以上にトラウマになる程の衝撃っつうのを受けたんじゃね?疑惑が自分の中で浮上して一人で興奮してしまったからなのです。まあお試しとしてルノワールゲームの規則 ジャン・ルノワール監督 Blu-rayビスコンティ夏の嵐 [DVD]を交互に観てみては。だんだんと頭の中がグラグラして不安になってくるかも、特に山猫 4K修復版 [Blu-ray]のラスト近くに出現するたくさんの便器壺のシーンにゲッと感じた映画ファンならばね。

 青春が終わったと感じる年頃になると皆「わかってくる」のさ。

 主人公で作曲家のアッシェンバッハ(ダーグ・ボガード)はもう初老、たった一人でベニスで夏を過ごしにやってきた。海辺の海水浴を楽しみにホテルではアッシェンバッハ以外は家族連れがたくさん。その中にポーランドの貴族の一家がいてそこの長男がタジオ(ビョン・アンドレセン)。14歳で顔はもう彫刻かってくらいに端正なのに、姉と妹という女に取り囲まれた美少年はやることなすことが歳の割りに子供っぽい。そしてアッシェンバッハはタジオを人目見た瞬間に彼のことが頭から離れなくなってしまい、ためらいながらもひたすらに彼を見つめ続けるのであります。・・・というわけでいろんなヒトがアッシェンバッハ&タジオの関係についてあれこれ言及しますが、ひとつコレだけは言える事がある。「ベニスに死す」の観客は皆アッシェンバッハとタジオに一人の男の「過去」と「未来」を見いだすのですよ。んで観客は「現在」の位置に置かれている気分になる、だから終盤近く夕日が暮れていく海岸とコレラが蔓延するベ二スを慌ただしく出発するタジオ一家と白塗りに化粧したアッシェンバッハに胸が締め付けられていくのを感じるのさ。だいたい映画ではタジオを見つめ続ける作曲家アッシェンバッハと彼のたどって来た「創造と苦悶に満ちた生涯」を交互に見せつけられるからどうしてもそんな気分にさせられるよ。

 何も知らない少年の「うっすらとした孤独」とオッサンの「絶対的孤独」

 ホテルに来たアッシェンバッハはとにかく落ち着かない。彼はホテルのレストランに行くといつも一人用の正方形のテーブルにちょこんと座って、気づかれないように周囲の家族連れを観察している。必ずしもタジオ一家の事だけじゃないんだよね。レストランのテーブルは家族連れには長方形のテーブルを提供するんだけど角は丸くなっているのね。で、角の丸くなっているテーブルについている家族やカップルでは女性が中心。この映画の女性は〇、もしくは曲線という記号で表現されているのさ。べニスにやってくる貴婦人達は「優雅な丸い日よけ傘」をかぶり「丸い日傘」を指し強い日差しの中丸い日陰に居てくつろいでいる。対するオッサンはといえばアッシェンバッハに限らずだいたい海岸では四角いテントの下でもっさりと座っている。最近日本で公開された「スクエア」もそうだったんだけど、◇と〇が緊張感バリバリで対峙している映画って◇と〇に性差のイメージを乗っける事が多いです。そしてビスコンティの映画ではだいたいそれをやっていて、そして殆ど初めて本格的にやったヒトではないかしらん。タジオのお母様で優雅な日傘を指して優雅にスカートを翻し、顔は薄いベールで覆われたシルヴァーナ・マンガーノはとびきりお美しくて落ち着いていて充足していらっしゃる。ビスコンティ映画の女性はスカートとかの衣装をくるくる翻して動く時とか、娼婦とかがベットの上に丸いペチコートを投げ出す時とか・・・そんな風にしているシーンが一番美しい。とにかく女性は存在自体が〇(円)なのよ。「夏の嵐」撮った時のビスコンティはまだ若かったからアリダ・ヴァリはスカートをくるくる回して動き回り、四角い木製の扉にもたれて怯えと激情にかられている時が一番美しい姿なんで顔のアップがブスいとかはどうでも良いの。(笑)そんな◇と〇の対比が一番劇的に表現されているのが「べニスに死す」かもしれない。海岸を歩くタジオはオッサンどものように四角いテントの影に避難するでもなく、「鉄壁な丸い影」のご婦人たちも不思議な他者でしかないからただ一人帽子もかぶらずほっつき歩いている・・でそれを涙をこらえつつ(かもしれない)見つめているアッシェンバッハ・・・なんでなんで?俺だって昔は彼みたいだったんだよ~って思って泣きたいんだよ、オッサンはっ。んでタジオも思う、アッシェンバッハとホテルの混み合ったエレベーターで思わずオッサンの顔を見つめ返す「ねえオジサンもさあ、今僕と同じ事考えていない? 此所って何だか退屈だよね。でも何故退屈なのかは僕はよく解らないの。オジサンは解るの?」・・・って感じ。ロリータはオッサンにはこんな事決して尋ねないよ。うっすらとした未来への不安と好奇心に駆られた美少年だからオジサンに尋ねるのっ。もうコレでおっさんの胸はずっきゅーん♡、てきちゃうのさああ!私は以前から感じていましたが、おっさんの中には「若い男の子に真剣に質問してもらいたい」欲望があるみたい、同様の内容でも女の子に質問されるばっかりだと寂しいのね。おそらく「おっさんずラブ」の仕事一筋の吉田剛太郎も部下に質問されたくてしょがないヒトなんだと思う。・・・つまりですねぇ、同性愛にはまずナルシズム/自己愛が根底にないとねって事です。

昔はすっごく可愛かった時の「俺」の残照を愛してしまう

 タジオ君の有名な「海岸のポールをもてあそびながらアッシェンバッハのオッサンをちらちら横目で見つめる」のシーンは演じるビョン・アンデルセンの顔だけ美青年のアンバランスさもあって以前はジルベールばりに男を誘惑するエロ子供のごとく言っているヒトも多かったです。(それを煽るように当時ビョン・アンデルセンはこの映画出演以来まるっきり消息不明のように喧伝されていた)しかしながらタジオ君はとにかく子供っぽい、トーマス・マンの原作ではタジオ君10歳くらいの設定ですから。映画では年長の少年と何かあったりして同性愛っぽい雰囲気も醸しだしつつ、同時になんだか無様な一面もある。顔があまりにも端正過ぎるので頭が良さそう、利発で才能がありそう、にみえないんですよ。でもだからこそ「昔すっごく可愛かった時の俺」の姿を彼に重ねたんじゃないかな、ビスコンティは。タジオ君が砂でできあがった「城」に入れ込んで凄くああしろこうしろと年少の子供たちに指示するシーンが挿入されているんですが、印象に残ります。「砂の城」はルートヴィヒ デジタル修復版 [Blu-ray]の主人公が作ったお城を思わせるくらいやたら精密なので驚きますがこの監督自身が生まれながらの貴族の出で城に関してのこだわりが映画のシーンのごとく幼少の頃から強かったかも、と考えると、ビスコンティ映画に登場する豪奢なお屋敷やお城が総て「なんだか悲しくて黄昏れている」ように思えて、また胸がしめつけられそうになります。でもソレがBLなのかそうじゃないのかは自分でも解らなくなってくるから不思議です。