ロリータちゃんがいっぱい ⑥ 「トゥルー・グリッド」のヘイリー・スタインフェルト

 

 

トゥルー・グリット ブルーレイ&DVDセット [Blu-ray]

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 原作はアメリカの教科書にも載っている程有名なんだと

 て聞くとかなり以前書かれた古典のような印象を受けますが作者のチャールズ・ポーティスは現在80代、最初にジョン・フォードが映画化してジョン・ウェインアカデミー賞を与えた勇気ある追跡 [DVD]は1969年の作品なのでそん時はむしろ新進作家だったはずです。それ故、原作凡てを忠実に再現するのには時代的にも内容が過激だったせいか今回のコーエン兄弟版の方がもうちょっと原作に近いんだとか。それでも原作のラスト・シ―ンはあまりにも諸行無常過ぎなようで原作よりはマイルドになってます。こうゆう小説が国語の教科書に載るって日本じゃありえんわ。だって「何かを得るのに困難を極めるというなら自分の中にあるものを何か犠牲にしないと得られない。それでも挑戦しないでいるよりずっとマシ」つう極端なまでのメッセージだもんね。日本ではむしろこんなリスクを負うことについて強く戒めるコトこそが大人の知恵というものですよぉ。

 ちなみに「true grit」というのは「本当の勇気」という意味なんだそうだ。

どう見られたってかまわない、今自分には「やるべきコト」があるのだから

 主人公の少女マティ・ロス(ヘイリー・スタインフェルト)は牧場主の父親を使用人のトム・チェイニー(ジョシュ・ブロー二ン)に殺されてしまう。西部開拓時代だから町へ牛の取引に行った先でちょっとしたいさかいぐらいでも殺されちゃうのだ。マティは母と兄弟を牧場に残し一人で街に乗り込んでくる。そこで腕利きの連邦保安官であるルースター・コグバーン(ジェフ・ブリッジス)に父の敵を探してくれと依頼する。コグバーンはこの手の西部劇の男性としてはお約束というかいわゆる「腕は立つけど、大酒飲みの変わり者シングル野郎」という人物ですね。登場シーンも彼が行き過ぎた捜査をするのを問題視した裁判から始まるのが典型的。マティは早速コグバーンに交渉し、一緒に父の敵を探す約束を取り付け、そんでもって亡父が残した仕事を片付け、探索の為に自分の乗る馬を探すという作業をてきぱきとこなします。父親の残してくれた財産の家畜を街の商人相手の取引時にも駆け引きするなどお手の物で、新しい馬を手なずける時も牧場の黒人少年に「御嬢さん危なくないですか?」と問われたってへっちゃらな彼女は超強気、またヘイリー・スタインフェルト嬢って眉毛はっきりだわ、きっぱりおさげ髪だわしててそれこそ「オズの魔法使い」のジュディ・ガーランドみたいです。彼女が一仕事終えて宿屋に一人で寝ている時に勝手に入ってやってくるのがテキサス・レンジャーのラ・ビーフマット・デイモン)、この時はマディさすがに怖くてビービ―泣いていますがこれもまるっきりジュディ・ガーランド風。西部劇なんだけど何となく「オズ・・・」をほうふつとさせる感じなんですね。でもこっちマディの場合はドロシーよりずっとキモが座っている。大人顔負けの駆け引きをしたと思ったら、お子様そのままでビービ―泣き出したりとか一見思春期らしく不安定さの表現にもうかがえますが彼女の頭の中は父の敵を打つことで一杯だからなりふりなんかかまわないの。そんな彼女だから結局大の男二人、コグバーンとビーフを従えてトム・チェイニーと仲間のネッド一味を追っていくことが可能になるのさ。 

「古き佳き西部劇」を目指したので「R15指定」なの♡

 R15指定というと「エッチな描写が過激」ゆえに決まるとお思いでしょうが、実際には過度な暴力描写や特に動物虐待の方がチェックされているケースが多いようです。なので同じくコーエン兄弟ノーカントリー スペシャル・コレクターズ・エディション [Blu-ray]やこの「トゥルー・グリット」の場合動物がやたら死ぬシーンがあるのでG指定から外れるということみたいですね。「ノーカントリー」観た時は序盤にワンちゃんが死んじゃう過程を結構丁寧にやっていて、ワザとかよって思ったりしました。「トゥルー・グリット」でも可哀想な馬のエピソードがありますが、それこそジョン・フォード版と比較してみると時代の変遷がダイレクトに感じられるでしょう。伝統的なハリウッド映画には実をいうと「動物の死」をリアルに、象徴的に描くことで演出にメリハリが出た名作が多いのですが、現代の感覚ではそれこそ虐待を助長するようになっちゃあ困るということかな?でお子様には鑑賞禁止。コーエン兄弟はそんな傾向に抗いたかっただけだったかもしれないですが、コレが全米の観客にも好評で2本ともコーエン兄弟作の中では興行収入良かったらしいです。

伝説のジョン・ウェインに「敬意」をこめて・・・

 で、さらに物語とは関係ない話を続けちゃうとジョン・ウェインて特別ガンアクションがカッコ良かったとか演技派だったとかでスターになったわけではなくなんでも両腕で抱える姿が感動するつぅことでハリウッドの伝説になったんだそうだ・・・という定評があるのですよ。かの蓮實重彦センセーや金井美恵子サマの映画批評を読まないとその辺の詳しいことはさっぱり解からないでしょうから割愛しますが。ちなみにコーエン兄弟いわくジョン・フォード版なんか全然参考にしてないしよく知らねえよ、とコメントはしている。そんな彼らもジョン・ウェイン伝説は無視できなかったらしい・・・

 マディは二人を従えてネッド一味のアジトにたどり着き、さらにチェイニーと一味に追いついていく。そんな過程でマディ、コグバーン、ビーフの三人は喧々諤々やりながら進んでいきます、そして三人とも必死なんだけど何だかとっても楽しそう。三人はまるで家族のように? それとも青春トリオかぁ?みたいな不思議な高揚感に満ちた道中を過ごすのです。「オズ・・・」の4人組みたいな芝居がとってもハード・ボイルドちっくに展開されるのが、余計にマディって娘も含めた3人組の世間からは外れたアウトサイダーな側面を映し出すのさ。ネッド一味と遭遇したマディはホント偶然にネッドと再会し、見事復讐を果たしますがネッドに抵抗された際に岩穴におちてしまい潜んでいたガラガラ蛇に腕をかまれてしまいます。そんなマディを見つけたコグバーンがマディを急いで連れ帰ろうとするのが見せ場です。そして見せ場の芝居をジョン・ウェインジェフ・ブリッジスとで比較すると「大爆笑」なのでお勧めです。何故ジェフ・ブリッジスの「顔面フューチャー」が出現したのかと考えるとひたすら可笑しかったよ(笑)

「墓立て娘」はポジティブ

エピローグはジョン・フォード版だとマディは見事に父の敵を打って家に帰ろうという時、コグバーンに「どんな理由であれ殺人という罪を犯した自分はこれからちゃんと生きていけるのか?」という疑問を発し、それに対してコグバーンは「今君はお父さんの墓を建てたけどその隣に君や、君の夫や子供たちの墓も建っていくだろう」などと慰めます。ここが原作小説とはまったく違うところです。

それがコーエン兄弟版ではどうなっているのか確認してほしいのですが、お話としてはともかく大人のマディになると「どうしてあんなにふっくらほっぺだった娘がこうなるのさ」とばかりにエリザベス・マーヴェルというとがった顎の女優に交替するのにオドロキましたがこれも「オズ・・・」のドロシーが成長するとタフな「ミス・ガルチ」(マーガレット・ハミルトン)みたいに代わるのさ、という表現なのかもしれません。ジョン・フォード版公開から米国社会ではウーマンリブ運動が起きたり家族観の変化が起きたことを確認できるようになってます。でも「She takes us to the death」な構造だけは変わらない。俺様を「家」へと導くのは「ファムファタール」と呼ばれる妻とか愛人で、「墓」へと導くのは娘=ロリータ、ということに決まってる。そして結局孤独のまま年老いていくマディも進んでコグバーンたちの軌跡を墓標に刻むのさ。そうやってコーエン兄弟版では新しいタイプの家族のあり方をも提示して終わるのでした。