女学生の女 ③ 「女の園」の高峰秀子他

 

木下惠介生誕100年 「女の園」 [DVD]

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 戦後昭和の学園闘争に影響を与えたんだそうだって云うけど

 それよか公開された年が1954年だってのが凄いのかも、この年のキネ旬ベストテンの一位が木下惠介生誕100年 「二十四の瞳」 [DVD]七人の侍 [Blu-ray]は三位、でこの「女の園」が二位なんだってさ。(本当かいな)いかにこの当時の日本映画が社会にとって与える影響が大きかったってことなのかもしれませんが。ちなみにこの前に取り上げた「ミス・ブロディの青春」で女学生たちが着ていた制服の一部は「純クレ」の丸ノ内女学園の制服に取りいれられていたと思うのですが、こっちの京都にある女子大生たちの制服が私自身が卒業した高校の制服に酷似しているのがちょっと哀しかった。(笑)何より高峰秀子らの通う女子大と私らの高校とは学校法人として置かれている環境が似ているというのが辛い。オンナばっかだから学校に寄せられる寄付金はほぼ女学生たちの親御さんたちなもんで、「嫁入り前の娘に変なムシが付かないように」というのが学校教育の一番の至上命令なの。だから主人公の出石芳江(高峰秀子)は東京にいる恋人の下田参吉(田村高廣)へ出す手紙さえも舎監の教師五条真弓(高峰三枝子)にすべて検閲されて届かないようになっていると知ってショックを受けるところから話はスタートするのさ。同級生の村野明子(久我美子)の言いぐさじゃないけど「あまりにも男に気をつけなさい、って注意されるもんだから却って私まで男のヒトに興味持つようになっちゃったわ」てなもんですね。村野さんの方は戦前からの大金持ちの御嬢さんだけど、周囲の大人たちに反抗的というかちょっと共産党運動なんかにもかぶれている。このほかにも軟式テニスする為だけに入学してきたような滝岡富子(岸恵子)だとかもう充分大人なのに男性関係に関してだけは今時の中高生より幼いというか、なんか頭でっかちで浮世離れしたご令嬢たちばっかなのでした。芳江だけが皆より三歳も年上でなんだかオバサンくさくて、その上勉強には付いていくのが精いっぱいで一人辛そうにどんよりとした女子大生活を送ってる。ホント「嫁入り前の娘」っちゅー世間の特に年寄り連中の決めつけだけで、一人一人事情も違うのに十把ひとからげにされるのってくっだらないけど、逃れられないのよぉ。もう一度でも女ばっかの集団に娘時代から放り込まれるとその手の重圧は常に感覚として身に着くようになるからさ。ワタクシはそれで人生の選択をしようとする際に「甘んじて十把ひとからげされよう」なんて諦念の極致に達しちゃったもんね一時期。

(でもさ、ウチの高校の校則に「男性と二人だけで個室に居なきゃいけない時はドアを必ず開けときましょう」ってのがあってさ。「男性教師が相手でもそうしなきゃいけないのかよ(笑)」って当時バカにしてたんだけど、現在どこの大学でもセクハラ防止マニュアルにほぼ同じ記載があるのさっ、ウチの高校・・・古臭いだか、新しかったんだか)

 

「オトコ知ってる」娘と「オトコ知らない」娘の違い

 ちなみに「非処女」と「処女」の違いでは決してないです(笑)、特にこの映画の場合は「嫁入り前なのになんだか所帯を背負っているカンジか否か」ってこと。芳江は女学校を出てから地元の銀行に勤めていてそこで参吉と知り合った、二人はすぐに結婚したかったんだけど、芳江の父親が貧乏人の家の息子との縁を嫌がって反対したものだから参吉は東京の大学に行って自分は京都の女子大に進学することにしたのさ。もうこの辺のくだりは現在からみるとありきたりで退屈な感じさえするけどね。ただ当初は不純とも言える動機で入学したにも関わらず将来を見据えて勉学に燃える同級生もいて何かしら目覚めているにも関わらず、自分だけ周囲から浮いている自分に焦っている。この芳江というキャラクターの造形を的確に作ってる高峰秀子とにかく上手い、もう一人でこのメンドクサイ話全体を引っ張っているのだ。こういっちゃ何だけど話は割合取り留めなくて若い女優さんたちがそれぞれ華やかな芝居どころで魅せていくスター映画でもあるからね。冷たい舎監の高峰三枝子とこれまた高慢な久我美子とのバトル等、説明過剰で分かりずらい部分もあるのだけど、ドン臭い高峰秀子が思い詰めて暴走する後半に勢いがあるので、観ているとどんどんエキサイトしてくるのさ。これで当時のキネ旬の投票者たちは「七人の侍」よりこっちを上位に挙げたのでしょう。イマ考えると信じられないけどね、木下恵介が・・・じゃなくて高峰秀子黒澤明まるで圧倒した・・・みたいです。ついでに言うと「女の園」の公開の最中に「二十四の瞳」は撮影されていてその翌年に高峰秀子は結婚しています。なのでひょっとすると様々な考えがゴッチャになってテンパり気味になっている芳江の姿というのは当時の高峰秀子自身の投影も入っているのかもしれません。芳江に大学職員の男性が「今の君を観ていると大陸から引き揚げてきた当時のボクの妻のことを思い出す。妻は神経が参っていた」みたいなことを言って慰めるシーンがあるのですが、これって原作小説通りのセリフなのか脚本オリジナルなのか気になる所です。

 

 いわゆる「凛とした女」が好きな女性なら退屈しません

 逆にいうと今時普通の男性がみたらこの映画が「七人の侍」より面白いわけないだろ!と叫びだしそうってなことですね。この当時の観客はまだ戦前の「制服の処女」のヒットを覚えている戦前からの文学青年たちもいっぱいいたし、政治運動と若者の青春ものが上手にリンクしているように思った若者も多かったようです。(大島渚はこの映画を観て松竹に入社しようと思ったんだってさ)そういえば「ミス・ブロディの青春」は「制服の処女」ちょうどが公開された1930年代を舞台にしていて、一見進歩的思想を持ってるらしいインテリ女性がファシズムに被れる姿を通してヨーロッパが物騒になっていく世相を描いている映画でもあったのでした。今回取り上げた「女学校」ものは学校を舞台にしているけど話の内容は主に「政治闘争」についてなんですよね。それをむさくるしいオトコどもが演るより、高慢な美人VS初々しくて生新な感じの乙女たちで演るのがウケたのでしょう。それにオトコだと「理想とドメスチックな願望に揺れる」姿になるのなんかあんま観たくないかも。最後になりましたが、松竹スター女優達のなかで無名の山本和子さんというヒトが演じる女子学生の服部さんというキャラクターが非常にインパクトがあり、また山本さんかなりの長身で美貌の持ち主なのですが、彼女はこの後数本の映画に脇役で出演しているだけです。映画のラスト近く服部さんは「ワタシ達はちゃんと自分の考えで立派な伴侶を見つけることができますわっ」と叫んでたりします。後に高名な劇作家と結婚し女優の毬谷友子さんのお母様になられた女優さんと同姓同名なので映画のセリフ通りご自分でしっかり伴侶を見つけられて女優業に執着せずに引退されたのかもしれません。