近距離恋愛の女② 「隣の女」のファニー・アルダン

隣の女 [DVD]

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 観るヒトの好き嫌いがはっきり分かれる「ご近所恋愛モノ」ジャンルの典型

 そういうことです。特に最近の二、三十代にぐらいに限って言えばこういう恋愛映画ってクドイし疲れるって方が優勢かもね。おそらくよほど世間知らずの文学少女&青年の頃に一回は観とかないとこの手の世界は決して解からないし、そうすると人生において多少は損するかもしれないので、なるべく若いうちに観てね。まず主役の二人、ファニー・アルダンジェラール・ドパルデューのことをどうあっても結局は近所でしのび合っている不倫の既婚者同志としてしか見てとれないヒトも世の中にはいるでしょうし、反対に昔激しく愛し合っていたのに運命のいたずらで結ばれなかった二人という風にすぐ感情移入できる方もおられましょう。だいたいご近所恋愛モノというのは今言った二つの観方に観客割れがちな映画ジャンルなのであります。

 パリ近郊の新興住宅地(元は農村)で再会する二人

 最初に登場するベルナール(ジェラール・ドパルデュー)の夫婦は近所にあるタンカー会社の試験場に勤めている20代後半の若いカップルで3歳児の息子あり。その隣に中年の空港職員とその妻マチルド(ファニー・アルダン)の夫婦が引っ越してくる。どっちの家もフランスの場合は石造りで古そーってういのがいかにも「ド田舎ってうよりひなびたカントリーライフ」で羨ましいわ。日本じゃ堅牢な造りの農家の家をオシャレに改装できちゃう若い普通のサラリーマン家庭・・・なんてほぼアリエナイ、特に映画公開の1982年当時の埼玉、千葉みたいな処じゃね。21世紀に入ったって京都の町家をリフォームして住むことにしたって相当大変だもん。舞台が小洒落ていると平日の昼間っから近場のラブホ(受付の老婦人でさえも上品)で密会しても実に優雅です、呑気に思い出話とかもできます。新興住宅地はそれなりに中流家庭以上の人びとしかいないので、町の中心のテニスクラブは住民達の社交場になっています、そしてそこは辛い恋愛の記憶を「文字通り」引きずって生きる片足が不自由なマダム(ヴェロニク・ミルヴェル)が仕切っていてベルナールとは友達なのさ。この映画が前回取り上げた「逢う時・・・」や金曜日の妻たちへIII 恋におちて DVD-BOXと違うのはフランス人にとって、「ヒトの恋路をアレコレ詮索するやつぁ、馬に蹴られて死んじまえ」という格言が日常的な態度に染みついているというかマチルドとベルナールが出来ていると薄々皆判っているのにあんまり大騒ぎしたり、忠告めいたお節介を焼かないところですかね。でもそんなら何故若いうちにマチルド達はうまく行かなかったの? と日本人は思っちゃうということもあるんだけど。二人はフランスの南部出身というざっくりした紹介で、過去どうやって恋愛に至ったのかもあんまり説明されていません。どうもマチルドの両親がベルナールのことを気に入らなかったらしいんですが、故郷では身体ばっかり大きくて使えないカンジ若者だったとしても、ベルナール社会に出てからはちゃんとやってるようだし・・・「都会化した田舎町」の郊外では個人主義的に寛容なのに、田舎に行くと頑なまでに地域主義で保守的な壁が分厚いのもまたおフランスならではなんでしょうか。マチルドがカウンセリングを受ける場面があるのですが、思わせ振りのようでもあるし、監督を含め作り手の個人的な経験も含めれているような気もします。互いの配偶者だけではなくご近所中に不倫がバレるという大失態をやらかしたマチルドとベルナールは一方は精神科に入院ということになり、また一方では二人目の子供を授かって一見正気に戻るということになるのですが、でも最終的にはやっぱり離れらえないのよぉ・・・ということになります。お定まりではありますが。

 一言で映画を説明できる台詞の凄さ

 むかーしのことですが、シナリオのプロット等を書くと決まって「どんなハナシか一言で説明してみろ!」とよく叱られたもんです。「隣の女」には登場人物たちが観てきた映画について話し合う場面がいくつかあって、テニスクラブのマダムは「女の為に自分の腕を切り落とす男の映画」を観たと説明し、ベルナール夫妻は「死骸が蘇って夜歩く」という映画を観てきたと語ります。どっちも「知られぬ人」、「歩く死骸」という実在するアメリカの怪奇映画なんだとか、確かに怪奇映画なら骨子になるアイディアを語れば一発で他人に伝わるかもね・・・(いまどきのホラーはそうでなくとも) 私なんぞは映画の好きな場面を語っても相手にヘンな顔をされることが多かったので、すぱっと分かりやすく映画の説明できることに憧れてるのさ。だから今回「隣の女」を久しぶりに観て感心したのが、観てきた映画に関するエピソードだったの(笑) でも主人公カップルの常軌を逸した振る舞いは怪奇を思わせるものだったり狂恋というものだったりするという示唆なのかもね。ちなみに「隣の女」は70年代に主役がジャンヌ・モローとシャルル・デネルで当初企画されたんだそうです、まさにトリフォーファンにとっちゃより怪奇度増しますてゆうカップルだったかも。ただ私はこの映画の郊外の緑深い映像が大変気に入りまして、こんなキレイな世界で観るラブ・シーンであればせめてもう少し若ーい男女でないとキツイかな、やっぱアルダンとドパルデューが「ギリ」でしょうって感じました。