昭和の女③ 「マルサの女」のマッハ文朱と宮本信子

マルサの女<Blu-ray>

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 確か映画公開された当時はまだ「昭和」だったはずっ

 ・・・そうだったよね、ってつい念を押したくなるくらい「もうさすがに古い映画」という印象がない。これがマルサの女2 [DVD]ぐらいになると、最初に観た時からもう「マルサ」はいいや、なんか出てくる人達の演技が皆重くてつまんないってすぐに興味を失くしちゃったから不思議なもんです。最後の死に方が不幸だったこともあって伊丹映画といえば結局ウンチクだけじゃんという人もいそうですが、「なんかワンパターンで飽きたね」という声が多かった頃に製作されたスーパーの女<Blu-ray>なんてのがウチの夫は大好きで、確かに今観てもそんじょそこらの後発の映画など足元にも及ばないような気がします。それに「マルサの女」のウンチクのキモは何処まで行っても「お宝をどう隠すか」VS「お宝をどう探し出すが」の攻防戦なので何処まで行っても活劇にしかならないのだっ! だから面白くしかなりようがないのよ。

 「どうしてこんな所にマッハ文朱がいるんだ」・・・という何故だか不穏な気持ち?

 マッハ文朱はヒロイン板倉亮子(宮本信子)が勤務する港町税務署の同僚で、亮子と組んで税務署に怒鳴りこんでくる暴力団組長(芦田伸介)をとっちめるというシーンが印象的ではありますが要は脇役。税務署レベルでは巨大ラブホテルグループの首領である権藤(山崎努)は追い切れないので板倉が国税局のマルサと呼ばれる法人税の脱税を調べる査察部に昇格する、その本格的なバトル手前の「脱税者に関する基礎知識入門編」の部分しかマッハ嬢は登場しないのです。なのに私は彼女が気になって仕方なかったのさ。同様のことはタンポポ<Blu-ray>の時の渡辺謙渡辺謙がどうしてトラック運転手の助手になんかならなきゃならないんだ、助手にって公開当時思った)にも感じたし、マルタイの女<Blu-ray>での伊集院光が凄腕の刑事役っていうのに何かしらの違和感を覚えた人達にも共通する感覚なのではないでしょうか。「マルサの女」ではマッハ文朱芦田伸介にコーヒーを持ってきて、「気が利くな」と威張って一口含むと塩入コーヒーなのでコーヒー茶碗を投げつけて激怒するのですが、観ていると「ああなんてマッハ文朱はデカいんだ、芦田伸介・・・でもこんなにもちっこい爺さんだったっけ」という衝撃に見舞われてしまうのでした。マッハ嬢はかつて山口百恵と「スタ誕」でデットヒートを繰り広げ敗れた後、女子プロレスに入門しただとか、芦田伸介と言えば「七人の刑事」じゃんだとかまでフラッシュバックされてくるとますますオカシナ気分になります。伊丹十三は戦前の名匠伊丹万作の息子で父親から「映画の成功というものは配役で大半が決まる」と教わっていたそうです。そして自身は役者の経験を生かしお葬式<Blu-ray>で映画監督デビューを果たしました。で、その頃から自作の映画を語る時にしていたのは自分は如何にして配役を決めたか についてのこと、唯一そればっかりでした。でもそうやって練に練った伊丹作品のキャスティング方法が当時としては(そして現在の日本映画にとっても)とんでもなく過激な試みだったということに周囲も伊丹十三監督自身さえもあんまりよく解かっていなかったんじゃないですかね。悲劇というものがもしあったなら私はそうゆうことだと思います。

 超絶技巧のキャスティングが大爆発

 「マルサの女」の女優陣というのはマッハ文朱のほかにも、「あの絵沢萌子」が古手のお妾さんをやってるとか、今話題の松居一代サマの絵に描いたようなヒステリックな銭ゲバ演技など役者が持っている可能性(ポテンシャリティ)を引き出す力がマックスというくらい爆発しています。あまりに凄かったのでこの映画でブレイクしたはずの大地康雄は苦節ウン年というエピソードも吹っ飛ぶくらいだだすべりのようにいつの間にかよく出てくる売れっ子としてお茶の間に定着してしまったくらいです。あとふらっと登場する中年とOLの不倫カップル(小坂一也と山下容莉枝)のことを中年男と花のような乙女(笑)っていう役名にしちゃうとか! 確か「乙女」のはずでしたよ、「花のような少女」(2014年4月現在)だと援助交際みたいになっちゃうので再度確認の上編集しておきましょう、ウィキペディアさん。

 とはいえ「マルサの女」までは脱税というそれまでの庶民にはなんか見たこともない世界を覗くというコンセプトがまずウケにウケた為、こんな凝った配役でも観客は皆好意的に反応しましたが伊丹映画のどこか不穏でヒトを落ち着かない気分にさせる演技陣というのは毒気が在りすぎるのか徐々に嫌われていったみたいです。特に日本人の観客(それも男)って自分はあくまでも安全な場所から「オンナの情念」やら「しっとりした情緒」だのなんのを楽しみたい人々ですから、「なんで伊丹映画の女優は皆キツネみたいな顔してるんだ、ヘンな趣味」とか「なんでいつも地味な宮本信子が奥さんって云うだけでヒロインなんだ」などの悪口も多々ありました。でも宮本信子がいつもヒロインなのはあくまでも好奇心の強い監督の分身のごとくとっても公明正大で無色透明な存在だからに決まってんじゃないですか。でなきゃあんなに濃すぎるキャラクター達を受け止めきれないってば。やっぱり日本人は自己主張過剰になれず性格慎ましいからカサベデス映画のジーナ・ローランスみたいにはなれないのよっ。