ぶらぶらする女③ 「放浪記」の高峰秀子

 かの名高い舞台版とは違うところ

それこそ昨年、森光子と高峰秀子という昭和を代表する女優二人がいっぺんに他界したということもあるのでしょうか、成瀬作品の中でもここんとこにわかに再注目されてるらしいということが、ブログのレビュー数でも解かりますね。もっとも成瀬映画としても高峰秀子主演作としても転換点というか、割に異色な方かもしれない。既に三度目の映画化で製作時には菊田一夫・森光子の舞台版が初演で当たりを取り始めていた頃なので、演出も練に練っているというか、高峰自身の役作りがとにかく凝りまくっています。ついでに言うと舞台版の森光子が「一途なまでにに自己実現や栄達への野心で世の中を渡っている」姿にオバちゃん達が感動しちゃうとすると、高峰秀子の場合は「ツライ人生をしのぐよすがの為に詩や文学が存在している」カンジで成功物語なのにも関わらずカタルシスが殆ど感じられません。おかげで映画だと芙美子を追っかけまわす安岡(加東大介)がかなりイイ人になって目立っていますが、これは安岡を米倉斉加年山本学等の新劇出身の役者さんに宛てた舞台版とどっちが良いか意見が分かれるところでしょう。ちなみにアタシは舞台の安岡の方が、解釈としても現代的だし納得できるし、彼自身のキャラクターを考えても却って哀れではなく結構幸せそうにも感じますが・・・どうなんだろう? ま、今回は「高峰秀子の放浪記」の話ですけどね。

 もの物凄い「ブス作り」の演技っぷり

 さて高峰秀子といえば、元祖子役スターから、日本における国民的アイドルの走りでもある存在で、それこそ戦時中なんかは出征する若い兵士たちにとっては「お嫁さんにしたい女優№1」みたいなコトもあった人です。とはいっても「放浪記」の時点では30代後半、それ以前でも木下惠介生誕100年 「女の園」 [DVD]あたりで年下の岸恵子久我美子と共演したり、流れる [DVD]芸者置屋の地味な娘を演る頃になると若いキレイな女の子でいるにはギリギリというか、どんどん演技力で「世間にはいろいろいるような普通の女のヒト」に挑戦していくようになります。「女の園」でのちょっと老けた(社会人として3年経験してから女子大へ入学)女子大生あたりだともうホントドン臭いというか、他のフレッシュな女優陣(岸恵子等)と比べてもかなりうっとうしくてイタいくらいでした。アイドル時代からのコンビだった50年代までの成瀬作品では木下恵介の映画のようにすぐには「どろどろした高峰秀子」は登場しませんが、「放浪記」ではやっと覚悟ができたかのようなドロドロで見事な「ブスッぷり」です。映画序盤の田舎から上京して職探ししていくんですが、着物の着付けといい、歩き方や立ち振る舞いのだらしなさは半径5メートル先からでもすぐにブスだと解かります。さすがに蒼井優高橋洋子の両人とは貫禄が違うってか。でも物語としてはそういう「木下夢二の美人画に憧れて残念な感じになったダサい田舎女」に二枚目の仲谷昇宝田明が言い寄ったりしていくので、昭和恐慌真っ最中の戦前という時代は「若い女が一人で都会をぶらぶらしている」という状態は男にとっては有難い、特別なことなのだったのだろうか? と思ってしまいます。それであれば尚更安岡みたいな人間が義侠心も含めて芙美子に援助するのも分かろうというものですが、ここら辺は同様に戦前の昭和を生き抜いてきた成瀬巳喜男菊田一夫とのスタンスの違いというか、時代の解釈の違いも垣間見えるといえましょう。

 「成瀬映画」と「女の着物」

 個人的には、日本映画がテレビにとって代わって徐々に影響力を失っていくのと、女性の服装が本格的に和装から洋装にシフトしていくのとはとても見事にシンクロしていると勝手に考えております。成瀬+高峰コンビ作はそんな時代を予感していたのかどうかは解かりませんが、この「放浪記」、「流れる」、高峰自身が衣装を担当した「女が階段を上る時」などとにかく見どころとしちゃ殆ど女優の着物姿かいなというくらいの凝り方です。「流れる」では思いっきり「着物考証」なるスタッフのクレジットもあるくらいですしね。着物というものは形が全部決まっていて、着る女性の体型に合わせて着つけていくものなので、どんなに衣装で隠しても中身のハダカは寧ろ丸見え状態といえなくもありません。それ故に着物姿の女性たちを観て「あの歩き方は処女じゃない」とか「彼女はミミズを千匹ほど飼っている」等やたらに妄想する自称オンナに関する通人なる輩もかつてはたくさん存在していました。女優の演技として着物の着方を考えた場合、年齢・職業・社会における階層に合わせて着つけの仕方を変えることによってまず役つくりを考えるべきということになり、女優として脂の乗り切った時期の映画では高峰秀子の着物の着方が、徐々にとんでもなくマニアックな方向へと変化していきます。そんな時期のある映画で高峰が大学教授のお妾さんを演っているところをちょっとだけ観たことがあるのですが、まあ着物の衿の合わせ方なんかがかなり凄かったのが印象的でした。「放浪記」でも成瀬巳喜男のコダワリがああいうくっちゃくちゃな着付けを高峰に要求したのか、高峰自身が張り切って暴走したのかもうよく解かんない。今日本のレトロ映画ファンの間だと成瀬巳喜男がひょっとしたら一番人気かもしれないんですが、特に女性の圧倒的な支持があるのも「成瀬映画に登場する着物姿」に興味があるからでしょうね。男性の場合だと主演女優の好みで成瀬映画自体への興味も各人バラバラなんでしょうが。

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 鯛焼きにかぶりつく姿がちょっとした衝撃だった

 小津映画だと食べ物がやたらと登場する割には女優は決してじかに食事するところは映りません。それは小津に限らすこの時代のスター女優の扱い方としてしごく当然のことだったのですが、対して成瀬の映画では会話のなかに食べ物の話題が上っても、食卓が画面に映し出されても、食べ物本体がでてくることが極力ありませんでした。浮雲 [DVD]ではただ漠然と「なにか美味しいものがたべたいわ」と高峰に言わせていたのに、「放浪記」では今川焼、洋食、中華(シナ)ソバ等といった固有名詞がいっぱい、ついには鯛焼きにパクつく思いっきりブス顔の高峰秀子が登場し、ビールもガンガン飲んでいきます。これが「東宝60周年記念」だからというんじゃないでしょうが、なにかを吹っ切ったのかい?ぐらいのちょっとした衝撃を覚えました。