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セックス・ワーカーの女②「祇園の姉妹」の山田五十鈴

祇園の姉妹 [DVD]

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 ホント困っちゃうような「リアル」な世界

 少しずつ読んでくださる方が増えているのに「ユーザーの検索ワード」を勝手にすっぱ抜いて申し訳ないんですが、以前「女は二度生まれる」を取り上げた際芸者は売春しないという検索ワードで我がURLに入ってくださったヒトがいまして、しまった!自分はこの文章では芸者関係のことをきっとまだ正しく紹介できてないのね・・・とちょっと反省しました。この「祇園の姉妹」を観てもよくお分かりになると思いますが、少なくとも芸者は決して売春して生活ができるほど楽な商売ではないと強く言っといた方が良いかもしれません。さらに付け加えると人身売買や奴隷制度が古代からがっちり出来上がっている欧米などと比べても、日本では「完璧な売春ビジネス」が成立したのが近世以降という比較的新しい時代からなので、ずっと盛んだったのは「売春」ではなくむしろ「援助交際」だったと考えた方がすっきりしていいんじゃないかと思います。だってどんなに説明しても「芸者ガールは日本女性の中では唯一男性と対等に渡り合って、自立している職業の女性でしょ?」という欧米人による不思議なカンチガイの溝は埋まらないし、マドンナはかつて「ワタシはサユリぃ!」って自分のライブで叫んじゃうし(折しも「SAYURI]というベストセラー小説のせいでアメリカで芸者ブームがおきちゃった頃のこと)、ついでにかのゴダールも「自分の一番好きな日本の映画監督はゼッタイにミゾグチ」とおっしゃっておりましたし、また勘違いという点では映画公開当時(1936年)だって多くの日本人にとってはもう祇園というところは既にちょっと時代遅れな一種の秘境になりつつあったのですから、巻末の新藤監督の解説のように「祇園の姉妹が登場するまでは、日本に本当の意味でリアルな映画は無かった」と断言されるとちょっとだけ困るんですよね。

 気の毒なミゾグチさん

 「世界の溝口」としたらまったく可哀想なところは無いはずなんですが、気の毒な点を一つ挙げるとしたらやはり多感な少年期に日本画家の家へ奉公に行ったということですかね。だって当時の文化としては一番スノッブな教養を徒弟制度という因襲的な方法で叩き込まれて血肉になっていた人ですから、とにかく近代的ってことが生理感覚としてワカラナかったのかも。だから現代の日本人だと溝口の映画を観ても「どうしてここまでに想像力の小っちゃいセコイ人間」ばかり出てくるのが不思議に感じるのであります。新藤監督によると「浪華悲歌」で脚本家の依田義賢と組むまで溝口さんは監督としてスランプ状態だったそうですから、すでに己の感覚と観客の嗜好のズレを一人で埋めきれない状態にあったということ。依田の「近代人的なフィルター」を通してコンストラクションを作ったり、キャッチ―なセリフで語ることでようやく当時の観客には溝口の目指すドラマが伝わったのでしょう。性格的には封建的なシガラミの影響を受けた分、とんでもなく古風で江戸時代ぐらいの無頼な芸術家気質なのに好きなものがモダンで意外とミーハー趣味というギャップが周囲の人々には理解できなかったし、なにより溝口自身がそういう自分を分かっていなので説明ができずにみんなと衝突!してるカンジが、数々のエピソードからうかがえるような気がします。ついでに何ですが、「祇園の姉妹」公開の翌年(1937年)には祇園とは真逆の「近代的な社会に住む小市民」が陥るブラックな悲喜劇映画として内田吐夢監督(原作小津安二郎)の「限りなき前進」がすぐに公開されるのですが、こっちの方は芸者ガールにリスペクトの国の組織「GHQ」によって作品がぶった切られ、今でも完全な形では観られないだってさ、もはやちゃんと鑑賞できない私達にだって困っちゃう話。

いっそのこと「NO1」を目指す貴女の教則本として・・・

 お話は同じく山田五十鈴主演「浪華悲歌」より更によくある話で女学校出の若い芸者のおもちゃ(山田五十鈴)と姉の芸者の梅吉(梅村蓉子)のそれぞれの社会に対する立ち向かい方を描きます。自分の置かれた宿命に従順な姉と「ウチは男なんかに負けへんで」とひたすら叫ぶ妹とは凡てに対照的ですが結局は二人とも男達の身勝手さに振り回されて、ひどい目にしかあわないよねぇ私達と嘆いておしまい。当時の祇園の内情を暴露したような映画として地元では大変に評判が悪かったそうです。現代に当てはめるならむしろ(おもちゃ+梅吉)÷2=ならば、セックス・ワーカーとしてはトップに立てるということで、この映画を「NO1を目指す為のマニュアル」にしてしまったらいかが。だいたい歌舞伎町、六本木あたりで「伝説のアゲハ嬢」を目指すのならばおもちゃのごとく「うちは男はんになんかまけへんでぇ」と毎朝叫んで(できれば鏡に向かって)イメージ・トレーニングするぐらいでないと務まりません。その上でラスト梅吉の台詞にあるように「うちはできるだけのことはやったんや」と呟けるようにならないと。現代のキャバ嬢あたりには「客を彼氏にしてはいけない」という教育をするそうですが、梅吉のように客に本気で尽くそうとすると、相手はお金以上の見返りを求められちゃうような気がしてびびっちゃうからそれはそれでプロとしてはいかがなものかというのもあるかも。(それにお金は一切払ってくれなくなるし)ただしそうかと言って映画のおもちゃのようにひたすら欲張って客とトラブったら大変だけど。お客さまからの贈り物には決してケチをつけてはいけないし、お客様同志を比べてはいけないし、ビンボーな客になじられたって「反物ひとつで色男になれるなんて思わないでほしいわ」などと身も蓋もないこと言うなんてもってのほか。調子に乗ってると、お座敷後のアフターでエライ目にあっちゃうぞ。(ホント第三者のはずのタクシー運転手でさえ油断できなかったりするのだ)「ある日客と喧嘩したら高速道路に放り出された」なんて体験したり見聞したことのある貴女なら、「戦前でもこんなもんだったの?」と呆れるぐらいあるあるネタがいっぱいの映画です。古くても68分と短いし解かりやすいしさ。