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セックス・ワーカーの女① 「エヴァの匂い」のジャンヌ・モロー

エヴァの匂い [DVD]

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 そのうち風俗嬢も水商売も「死語」になったりして・・・

 しかし「せっくす・わーかー」って身もふたもないというか、いくらなんでも言葉として雑過ぎないか? と気にならないわけでもないのですが、最近の流行りなので結局コレにしました。キャバクラに勤務する女性のことを表では「飲食業、接客業」、裏では「風俗嬢」というようになっちゃったし、もはや水商売という言い方はバーのマスターとか女装関係の方のみが使うだけだしね。ホステスサンがいわゆる「キャバクラ嬢」に変化し始めたのはあの東電OL事件の際に「水商売は嘘をつく商売だけど、風俗は本音だけだから」などという業界の一部の女性たちによる自己主張が業界経営陣や警察関係者たちの(お前ら生意気言うんじゃねえという)不興を買ったせいでだと個人的に考えておりますが、まあ映画とは全然関係ないハナシですけど、ホント面倒臭いよなぁって、悩めるところなのでつい。

 水、水、凍えそうな冷たーい水でいっぱいの映画だった

 私にはとにかく映画以上にこの映画評のテンションは何故か皆一様に凄いというのが印象的で、一回目観た時は「正直何だかよく解からないんだけど」って思いました。著書ではなんたって山田宏一センセイの新編美女と犯罪橋本治様の虹のヲルゴオル (講談社文庫)が有名でしょうか。なにせ実物の映画観る前にこの二冊を熟読し過ぎちゃったからさぁ。ついでに映画評の掲示板サイトによる映画ファンの感想も真っ二つで「エヴァ派」と「タイヴァン派」の味方に男女で分かれて結構白熱していたぞ(そんなに解かりやすい内容の話でもないのに)。で結局もう一回ちゃんと観たんですが、要は男と女が互いのプライドと誠実さを賭けてひたすら喧嘩しているだけじゃないですか、コレ。主役の男女間には恋愛感情有る無しっていう以前に、双方エゴが肥大し過ぎているタイプらしくてそんな余裕もないみたい。そして二人の争いに巻き込まれて深く傷ついた男の婚約者は哀れにも死んでしまうんだもんね。冬のヴェネチアを流れる運河の水は冷たくて、死神を思わせる道化の仮面が風景によく似合うのよ。(道化の仮面が小道具としてエヴァとタイヴァンの間を行ったり来たりするのだ)映画の前半にタイヴァン(スタンリー・ベイカー)が水上スキーをするシーンとエヴァジャンヌ・モロー)がバスタブに貯める湯だけが「暖かい水」で後はローマの街にあふれる噴水もヴェネチアの夜の雨も凍えた川の水もただひたすら冷たいのさ。監督のジョセフ・ロージーは当時編集権を与えられておらず、プロデューサー側が主に映画をぶった切ったそうで本人ずっと怒っていらっしゃったとか。画面に溢れる水のイメージが強いせいなのかヴェネチアとローマを行ったり来たりする構成なのに舞台の違いがはっきりしないこともあってちょっと理解しずらい所があるのかもしれません。

 エヴァがタイヴァン・ジョーンズを嫌うわけ

 そりゃ、彼には心から本命の彼女フランチェスカ(ヴィルナ・リージ)がいるからに決まってんじゃないですか。いくら娼婦でも本命の彼女に対する面当てなのか何なのか、やたら本気モードであからさまに口説いてくるまさに下衆の極みなんて男は勘弁だわよ。だいたいさ、エヴァは偶然タイヴァンの邸宅に上がりこんで部屋を探検した時にすぐに分かったんだもの、「住んでいるのは作家なのかもしれないけど、自分の書いた小説と自分の恋人の写真以外は生活感も人生の軌跡辿るグッズもゼロじゃん、スゲー変な奴」ってさ。エヴァと出会う前のタイヴァン自身の手詰り感はかなりはっきり描かれていて、彼の恋人フランチェスカは自分に対して一途だけど、彼女はいいとこのお嬢なキャリア・ウーマンだし、恋のライバルのブランコ(ジョルジョ・アルベルタッツィ)は彼女の雇い主のプロデューサーだからしょっちゅう仕事を口実に連れて行っちゃうし、飲酒は節制しなきゃならないし(なんでかというとタイヴァンはウェールズの元炭鉱労働者なんだけど、そのイメージを守るために酒に超弱い体質なのがバレたら困るから。なんでそんなこと気にしているの? という理由もじきに解かります)辛いからちょっとぐらい浮気したかっただけだったんだけどね。・・・それでわざわざエヴァみたいな女をターゲットにするぐらい愚かなことはないはずなんですが、なにせタイヴァン・ジョ―ンズぐらいドツボにはまっちゃった男も珍しいのでしょうがないかも。タイヴァンは死んだお兄さんの原稿を自分の名前で出版して、それが映画化されて大ヒットして「第二作はまだ?」ってせっつかれてる。恋人にも勇気だして作家っていうのはウッソでぇーす、とはいえないのだっ。

 エヴァを巡る「ジャンヌ・モロー伝説」

 あまりにもエヴァ役のジャンヌ・モローの演技がヤバすぎた所為なのか、当時は映画の外でも「撮影時に突然控室に籠ってでてこなかった」とか、「スターだからって愛人のピエール・カルダンに映画の衣装をやらせやがって」などの悪評が多々あったり、その反対というのか「ジャンヌ・モローは駆け出しの頃、ジャン・コクトーに原作本を紹介されて、売れたら必ず主人公役を演じるようにアドバイスされた」という逸話も残っています。ま、要するにジャンヌ・モロー念願の企画だったてこと。私の感想だと彼女の演技としては他のどの映画よりも一番理知的で計算されたパフォーマンスて気がしました。山田センセイには大変申し訳ないですが、ジョセフ・ロージー監督にとっても彼女は大変満足な結果を出したんじゃないでしょうか。クライマックス場面、家の飛び出して行くフランチェスカをぼんやり見つめるジャンヌ・モローの表情も、フランチェスカの死後自分の部屋へ戻ってお気に入りのビリー・ホリデイのレコードを聞こうとしたんだけど急にそれを投げつけちゃうとかも、真夜中就寝中に忍び込んできたタイヴァンを鞭で思いっきりぶちのめすのも、とてもしごくまっとうな行動だと私は思いますけど。エヴァはフランチェスカのことを決してバカにはしてこなかったし、タイヴァンとの喧嘩にかまけてつい人としてやってはいけないことに加担しちゃった自分が悔しいですし、あんな状態でやってこられたら自分は男に殺されると思う方が当然でしょうがっ!!

 アダムとイヴの原罪と現在

 映画のラストに語られるナレーションではアダムとイヴが禁忌のリンゴを食っちゃった後、「炎の天使」と呼ばれる子が生命の樹たるリンゴの木を懸命に守り続けましたとさ、みたいに語られます。そうすると「イヴの原罪」を背負ったジャンヌ・モローエヴァは罪滅ぼしの為に「炎の天使」の使命を遂行すべしとして頑張んなきゃいけないんでしょうか? 「私の使命」ってなんか美しいけど、その件を具体的に実行しようとするととびきりエグイ系のだめんず達のお世話係をすることだからっという事実にぶち当たるのが、キッツいわ〜!!(タイヴァン・ジョーンズだけじゃなく最初っから最後までエヴァに言い寄ってくるヲタク風のオッサンが実はプロの賭博師っていうのもなんか・・・・ね)で、最後になりましたが「エヴァの匂い」の映画評としてはレビューサイトにあったある男性の「彼女に無理やり連れてこられて観たんだけど、内容あんまりよく解からなくてエヴァなんてオバサンより自分はヴィルナ・リージの方が全然タイプって言ったら彼女にどやされた」という旨の発言が一番素直に正しく鑑賞しているタイプだなと感じました、おしまいっ。

小間使の日記(1963) [DVD]

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 本来は日本人(欧米のメイドさん文化に憧れてメイドカフェ作って喜んじゃうような)にとって一番難解だともいえる原作&映画なのですが、コレ観た後に「エヴァの匂い」の鑑賞に入ると双方の作品ともより理解が深まるのでお奨め。しかしジャンヌ・モローという人はだいたいどの映画でも「すぐムキになる」というか「売られた喧嘩は正々堂々受けて立つぜ」と一方的に開き直っちゃうだけなのに、君ってば本当にクールなタイプなんだねと周りから受け取られてしまう、難儀な方ですね。