読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

振られてもしょうがない女⑤「追憶」のバーバラ・ストライサンド

 「将来幸せな家庭を持ちたい♡と思っている若い男の子」こそ、この映画観た方がいいと思う

 私のようなオバサンが観ると「りめんばぁー♪・・・」というストライサンドの歌声だけで、ビョエーって泣き出すような「かなりベタ」なメロドラマの名作。アホかっ、と見る向きも多いでしょうがセックス・アンド・ザ・シティ シーズン 1 [DVD]のエピソードでもあったようにこの映画でまったく泣けないような場合(4人のなかではサマンサ一人だけ)だと「彼女って200パーセントぐらい結婚願望無し」なんだなと考えた方が良いということもあります。女子の大方がこの映画観て泣くのはバーバラ・ストライサンド演じるケイティの奮闘ぶりが、あまりにも男に合わせ過ぎると自分がなくなっちゃうかもしれないじゃんという女の不安と限界をイターく突くからなのですが、男子の側でも映画観てなんかしらの敗北感を感じることもあるのかなあ。原題だと「The way we were」、・・・「僕らが辿ってきた道」とでも訳せばいいのかしらん。製作者のレイ・スタークもオリジナル脚本家のアーサー・ローレンツも主人公のハベル・ガードナー(ロバート・レッドフォード)と同年代ぐらい、どちらもおそらくは「追憶」の舞台になっている50年代のハリウッド赤狩り時代にハリウッドに潜り込んだ人達なので、肝心の赤狩り時代の描写については少しビビッているというか、何となしに罪悪感が漂っているのが今観ると却って赤狩りってそんなに怖かったの? ということを感じさせられます。アーサー・ローレンツはケイティのようにNYブルックリン出身で大学時代に学生運動に傾倒していたんだそう、その時の体験を元にスト―リーを練ったといわれております。なのでケイティにしろハベルにしろ登場人物の大半にモデルが存在するんでしょうが、ローレンツ自身はずーっと一人のパートナーと添い遂げたんだと生前強調していました。そのせいでしょうか、最後までいくと「別れちゃいけないカップルほど別れちゃうから気を付けてね」と説教されている気分になるのだ。騙されたと思って社会人前の若い男子諸君に一回は苦行だと思って鑑賞することを強くお奨め致しますよ。でないと3,40代になって初めて「追憶」体験した場合、もんどり打って落ち込むこともあると思うぜ、てくらい過酷なのが昨今の日本の若い男の子事情だからね。

 ちなみにローレンツって人はアメリカでも有名な「ゲイの教養人」、でした。

 というわけで? 映画の視点が前半はケイティに、そしていつのまにか後半はハベルの方に視点が移っていくという構成に注目してみてはいかがでしょうか。最初は第二次大戦中のNYのクラブで、ケイティが居眠りしているハベルを見つけるという結構無茶なエピソードから二人の大学時代を回想していく展開になっています。大学時代のケイティはコミュニスト運動にのめり込みつつ貧乏なのでバイトに明け暮れる日々、一方のハベルは裕福な家庭出身のスポーツマンで女の子にモテモテ。ケイティとハベルは同じ小説創作のクラスに在籍しているのですが、小説の才能ではケイティはハベルに全然勝てないわ、一方ではハンサムな彼に片思いが募っていくのに、なんかハベルの方でも気付いているみたいで・・・と殆ど少女マンガかっと突っ込み入れたくもなりますよね。回想シーンも終わって、第二次大戦下片方は戦時政府の情報局に勤務し、男性の補助的なポジションながら自信を持って仕事をこなしているケイティと海軍でNYを行き来しているハベルの距離は大学時代の「格差」を乗り越えるくらいには縮まったようで、めでたく二人は結ばれます。このあたりから徐々に本当の意味での主役登場か?てな具合でハベルが自己主張していきます。ハベルの側からみれば女の子を選ぶというか、伴侶を決める理由は割と単純で「自分の進むべきキャリアを的確に導いてくれる」からです。本人が言うほど生まれ育ちや容姿にこだわってはいません、だって容姿だって生活スタイルだって俺の好みとか、出世具合に従って適当に考えてくれるのが妻である貴女の仕事でしょ、なのですから。とはいえ奥さん当人すればそれを当たり前だと思ってるお前にムカつくということで、日本人からすれば要は痴話げんかじゃんみたいな、でも格差だけではなく人種間の緊張もあるからアメリカ人同士では意外と深刻な葛藤を抱えながらハベルはケイティを連れてハリウッドにうって出ようとするのでした。実をいうとメロドラマの形をとりながら、社会の様々なトピックをせっせと提示していくのがウエスト・サイド物語 [Blu-ray]の原作者でもあるローレンツ先生の真骨頂でありまして、「ゲイだからブスッ娘のヒロインに思い入れ激しいだろ」だけでは終わらない、それこそマジンガーZの阿修羅男爵のごとくケイティとハベルの間を行き来しながら自身の自叙伝的要素をぶちこんでいくのでありました。そして二人が渡ったハリウッドではいよいよ「赤狩り」の大粛清が始まります・・・

 そしてカタストロフィ(大変動)がやってきた

 時代の波が二人を引き裂いた、とか争いの火種が二人の愛の絆に降り注ぐ、とか書くとなんかカッコいいですよね。でもこの映画での描写は徐々に日常生活を脅かしていく、じんわりと怖さがつのってくるものです。ハベルの台詞に「戦争も終わったのに・・・」というのがありますが、ケイティがアジ演説していた大学時代には自分たちにはどこか絵空事っぽかった全体主義の影が今度は自分たちの身の回りを脅かすようになってきた。合間に挟まれるケイティとの新婚生活の話や、政治とは無縁の金儲けプロデューサーが自身も知らないうちに自宅に盗聴仕掛けられていたとか、難しい政治思想などは理解できそうもない昔かたぎの職人監督夫婦が政府当局にマークされたり(この監督の撮った映画は主人公がネイティブっていう西部劇を撮っただけのことなのに)が地味に語られるのが結構怖いです。そんで一見地味なエピソードの積み上げ方にもの凄い情報量が詰まっています。よくよく考えるとクライマックスにあたる二人の最後の大げんかは、どっか男女の間というのからは外れたかなり観念的なものなんですが、その前に彼らの大学時代からの友人夫婦の崩壊だのなんだの畳み掛けのエピソードもあったおかげかどんなに二人で歩み寄ろうとしても限界を超えるカタストロフィが外の世界から押し寄せてきたらしょうがないよねぇ、哀し〜と私はビービ―泣いておりました。目に見えない大変動というものはじかに見聞きした当事者でないと分からないし、かといって同時代を経験したのにあんまり気が付かない人や後の世代にきちんと「あの時何が起こったのか」を伝えるのは大変です。「追憶」以降もっと赤狩りを題材にした映画が出てきてもいいのに未だにパッとした作品がないのは、これだけその当時のトピックを分析して組み合わせることのできる腕のある作家がなかなか出現しないからでしょう。つい最近の日本だって経済分野ではバブルの崩壊があってそれがいかに当時の若いカップルを引き裂いたとか、日本人の夫婦観や恋愛観を劇的に変えたのかを伝えたいと思っている人間が私の近い世代にはいっぱいいるはずなんですが、まだこれと言ってモノにしている人はいませんね。