振られてもしょうがない女②「仇討崇禅寺馬場」の千原しのぶ

 仇討 崇禅寺馬場 [VHS]
主演二人が「大根」だったからこそできた名作

 大阪に実在する「崇禅寺馬場」の挿話は数ある「仇討もの」のなかでも、打ち手が逆に返り討ちに会ってしまうというもので上方落語ではケッコウ有名らしいのですが(江戸落語にも流入して「鈴ヶ森」という噺あり)、特に現代の東京もんの眼には「マキノ雅弘監督の数ある傑作群のなかでも異色時代劇」に思えてしまうという映画。戦前サイレント時代の作品を東映でリメイク、主演は当時東映一のイケメン俳優大友柳太郎と新進美人女優の千原しのぶで彼ら二人にとっては今でも代表作と言われています。この御二方、実はどっちもルックス勝負で東映俳優のなかでも演技が下手で有名でございまして、マキノ監督の家庭は映画一家で親戚も役者ばっかりだったそうですから「なんであんな下手な娘使うの」といわれたとかなんとか・・・。しかしこの映画、お話があまりに悲惨というか、主人公の根はいい人なのかも知れないけど侍としてはあまりにヘナチョコ野郎ぶりがイタ過ぎるので、この二人が主役じゃなかったらあまりにも哀しくてついていけないかも。つまりそれだけ周到にキャスティング、演出されたプロのお仕事と言えましょう。魅力的な映画には「上手い演技」が必ずしも必要というわけではないのです。いまだ放映中の連ドラなのに、ネット上では役者陣についての演技批評があまりにかまびずかしいという昨今、こういう古い映画を観ると却って清々しさを覚えるのはワタクシだけでしょうか。

 ホ―ケン的な江戸時代のお侍事情の理不尽さは「ブラック企業」以上だぜ

 大和の国の藩士生田伝八郎(大友柳太朗)は武術指南だったのですが、御前試合のちょっとした勘違いで若輩の侍に負けて御役をクビ。生田家に戻ればは入り婿なもんですから奥さん(風見章子)や舅にも疎まれてしまいます。(もうすでに跡取りの男子が誕生しているので、無職の伝八郎はもうどうでもいいみたい)一度失敗すると仕事でも家の中でも即リストラ対象になるのがこの時代の「部屋住み出身のお侍さん」の身の上、例の「倍返し人気ドラマ」の銀行員なんかよりはるかに過酷なのさ。更に前述の若侍をも斬ってしまうという八つ当たりをしでかした伝八郎さんは脱藩して大阪へと流れ着き、難波の沖の人足達の元締めみたいな家に剣術を教えながら居候をすることになります。そこの親方の娘で伝八郎さんを見初めちゃったのがお勝(千原しのぶ)、彼女は若いのに艶めかしくてやたら色気のある美人なのですが、彼女本人は「鉄火肌」のつもりなのか何故だか常に鉄砲を隠し持っています。この短銃を構える時の千原しのぶの緊張感の無さというかヘナヘナ振りがヒドイ。ちょっといいオンナと思っていたのもつかの間、その光景のせいか一瞬で萎えてしまうくらいです。それとは反対に伝八郎の冷淡な妻である風見章子(ちょっと前まで「ぱらまうんと楽よ」の介護ベッドのCMにも出演していた、半世紀以上は活躍していただろう往年の名わき役の女優さん。ケンちゃんシリーズでは確かおばあちゃん役だったと思う)はホンのワンシーンのみの出演なのにも関わらず、千原しのぶとは「女の格」が違うのです、哀しいくらいに・・・。誇り高い武家の奥方が赤ん坊の息子を抱えてぴかぴかに輝いていました。(そうして伝八郎に愛想を尽かすのだ)この最初の風見章子の登場を観ちゃった後には、千原しのぶみたいな若い女では伝八郎の心の傷は癒えないだろうな〜って、所帯持ちになると感じますね。もし二十代ぐらいに観ていたならそうは思わなかったんだけど。この映画、「つれない男に振られて泣く女」の陰には「もっと痛い別れ方をした男」が存在するってお話なのでした。ちなみに現代のTVドラマでは「出向してバツイチになった元エリート会社員と出向先で働くヤンキー上がりのOLとのほろ苦いラブロマンス」なんてハナシ、ありそうでないよね、現実(リアル)ではたまに聞くけど。現代を舞台すると情けなさ過ぎてフィクションとしては受け止め切れないプロットでも時代劇だと安心して楽しめたりするものなのさ。

 なんだかとても「残念すぎる二人」が観るヒトの心に染みるぜっ・・・

 時代劇における「逆切れザムライ」ものを見慣れた目には、「映画になんか頼りない侍ばっかでてくるのがヤダ」って思う人もいるのかなあ。リメイクする際に監督は前作のストーリーを脚本の依田義賢に対して自分が覚えている範囲に限り「口立て」で説明して書かせたんだとか。「ヨーダ」のモデルとも言われ、溝口健二とのコンビでしられる名脚本家の手になるものですから、勇ましく一矢報いたいものよなんて豪傑ぶったキャラは当然出てきません。藩主の命令で無理やり脱藩させられて伝八郎を追わなきゃいけない遠城兄弟も「自分たちはいつになったら本懐遂げて故郷に戻れるだろうね」「ねぇ・・・」なんて、なんかのんびり会話しながらため息ついてるし。しかもこの後に遠城兄弟ったら伝八郎自身の手にかかって、じゃなくてお勝の命令で人足達になぶり殺しにされちゃうのだよ、カワイソ過ぎる!・・・ トほほ上方はあくまでも武家が主役じゃあないってことなんでしょうか、おかげで悲惨さ倍増。伝八郎は崇禅寺馬場で返り討ちする人足達を(あまりに大人数だったせいで)止めることさえできず、ショックのあまり次第に精神を病んでいきます。伝八郎を悩ませる血まみれ遠城兄弟の幻影は、ちょっと曽我兄弟の怨霊ななんぞを思わせるところがあって、ごっちゃになるというか多少観ていて混乱することもあり。マキノ監督の時代劇といえば、主役は浪人⇒次郎長シリーズに代表される博徒もの⇒よりフリーな感覚の股旅物へと変化していきます。そして実の所いつでもお話のキモは男女のココロの擦れ違いというので一貫しているのさ。だから観ていて「若くて美人でエロいお勝と一緒に幸せになればいいじゃん」とか「このお勝ってホント下げマンかも・・・」というところにしか頭がいかないのだっ。また大友柳太朗の方といえばもう絵に描いたような狂気の演技、不器用過ぎるせいで伝八郎の役柄にピッタリという不思議な鑑賞体験を皆さんすることでしょう。ラスト近くの崇禅寺馬場にたどり着いた伝八郎のシーンなんかでは、まるで四コマ漫画の「オチのコマかいっ」て言いたいような構図のカットがあってびっくりしたよ。(ゴメン、よく見こすり半劇場とか石井ひさいちのヤツとかって時代劇ネタがでてくるよね・・・まるであんなのみたいなんだぁ)でも伝八郎が最後にこと切れる時に、自分の息子の名を呼んで語りかけるセリフには感涙もの。これはホントにホントだってば。ヘナヘナで芯が強いどころか、まるっきり「芯なし」の感がする千原しのぶにとにかくぶきっちょさで優柔不断な印象の大友柳太朗という「残念なコンビ」に観客が皆「ヒトの弱さと優しさ」を感じるという不思議な名作。当時の京都の観客もこの映画が大変気に入ったのか、大友・千原コンビにそれぞれ京都映画祭主演男優・女優賞をあげたそうです。