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都合の良い女③「女は二度生まれる」の若尾文子

女は二度生まれる [DVD]

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 「戦後風俗の深層が激変していく様」をかるーく描く

 都合の良い女なんていうシリーズで括ったのはこの映画を紹介するためのようなものでした。「ヒロインのコスプレが堪能できる」「男がどれだけヒドイかということが良く解かる」「結果的にその時代の鋭い社会批評になっている」と前にことわっておきましたが、それら3点がばっちり揃った超ハイブリットな傑作故、ホントはこんなブログ程度のボリュームじゃ映画の凄さはとても伝わりませんが、とにかく論点を絞ってちゃっちゃと進めましょう


昭和の「お気楽コスプレ娘」

 主人公の芸者小えんは戦災孤児で、「とってもやり手」。とはいえ芸者といってもおもな仕事はお客さんから「性接待」を頼まれてお手当をはずんでもらう枕芸者ってやつですね。その数年前には売春禁止法が制定されたこともあり、花柳界の方ではガチで買春したい顧客たちの需要を満たすため、若くてかっぽれしか踊れない芸なしの芸者が激増しておりました、小えんもその一人ですが、全然悪びれない。お相手の中には人の好さそうな紳士筒井(山村聡)や実直な性格で独身のすし職人野崎(フランキー堺)みたいな普通な感じのいい人もいるし、遊び人の割にケチな矢島(山茶花究)とか、上客なんだけどがっつき型のスケベ爺の偉い先生もいたりして色々だけど、彼女には悲壮感なし、特別好きでやってるわけじゃないけど、十分楽しんでやってます、てなもんです。まるで幕末太陽傳 デジタル修復版 Blu-ray プレミアム・エディションに出てくる陽気でタフな女郎たちを、もっとおっとりさせたようなのが小えんみたいな枕芸者という存在なのですが、そんな長閑な商売にも時代の波が押し寄せてきて小えんの芸者生命も危うくなってくる・・・という展開になります。ある日いきなり小えんの置屋に警察の手入れが入り、小えんは芸者からホステスに転職、さらに小えんを見初めた筒井のお妾さんに落ち着いたと思ったのにぃ、そうすると今度はやることがなくなって男遊びでもしなきゃ自分がダメになると不安になってしまうという心理。ほんとお気楽でバカだねって思いますが、若尾様が演じるとこの辺はとっても可愛くって笑えます。最初の芸者の和服姿から、ホステス時の小洒落たな洋装、フリルのエプロン姿の「新婚妻」スタイルとコロコロとお着替えして出てくるのも楽しく、まさにコスプレ。鏡の前で煩悶しながらお着替えするジャンヌ・モローや踊りながら靴脱いだり、手袋外しただけで大騒ぎするハリウッド女優たちとはここがまったく違うところで、ホント日本映画にはファム・ファタールって存在しないんだわということが解かります。とはいえ小えんを巡る男たちは、実のところ活動家の大学生牧(藤巻潤)のように彼女に相当振り回されていたりするのですが。


 とても嫉妬深いオトコたち

 お妾業もなんか退屈かなあと思っていると、隣の部屋に住む女子大生(江波杏子)に「失礼だけど、あなたのようなお商売やってる方たちの方が最近の性風俗事情に疎いんではなくて?」と指摘されて小えんはちょっと頭に来てしまいます。女子大生はなかなかの発展家で、彼氏に「Bまではオッケーだけど最後までさせない」という駆け引き上手、その上「歳だけ食った大人よりも、西洋のテクを学んだ若者の方がもっと楽しんでいる」みたいなことを小えんに説くのです。そういや筒井と初めて会った夜にも「君はあの時に声って出すの?」なんて言われたなぁ・・・と思うと、負けていられるか、て若いオトコとの火遊びに走るのでした。(笑)そこで映画館の前でうろうろしてた十代の孝平(高見国一)をナンパして「筆おろし」させてやるのですが、なんでソイツだったかというと外国映画たくさん観てそうだから前戲とか詳しいじゃないだろうかというただの見込みです・・・(トホホ)。当然筒井にバレてものすごく怒られてしまいます、妾になるまで、男とは寝ることはあっても「本気で付き合う」ようなことしてこなかった小えんにはかなり堪えました。まさか温厚な筒井が「お前みたいなしもぶくれのきゅうりみたいな顔・・・」みたいな罵倒し始めるとは思わなかったもんね。よく日本の男性は妻や恋人を褒めるどころか、面と向かってけなすことしかしないと言われますが、これは自分の恋人や妻を「きれいだね」と褒めたところで当の女性に感謝されるよりもつけ上がって自分を捨てるんじゃないか、周囲の男たちが自分には過ぎた存在だから横取りしようとしないだろうか、とても不安で仕方ないからです。日本映画ではただ女に意地悪する嫌な男はいっぱい出てきますが、それでもオトコどもがいかに「嫉妬深くて、互いに足を引っ張り合うか」のような描き方をすることは稀なのです。同じ若尾様が初々しい芸妓を演じた祇園囃子 [DVD]なんかと比較するとよく解かりますが、溝口健二がこういうを映画を撮ると、何故そんなに卑怯な男しか出てこないのさ? この監督ひょっとしてゲイ?とうっかり間違えそうになるくらいの厭らしさしか感じないですが、この映画の男たちの小えんに右往左往する姿は頭にきたり、笑えたりしますがやがて何かもの悲しくもなってきます。川島雄三という人は若いころからの映画狂の大学生から映画会社に入社し、洒落もので有名だった一方で若い頃から難病に苦しみ、自分の身の上が「アレは身体に障るからできねぇ」の幕末太陽伝の佐平次のような状態だったので、女性を巡る男同士の争いでも客観的かつ、男性陣に対して深い共感もって捉えることができたのかもしれません。おかげで川島映画における若尾文子はあと一歩で日本映画でも殆どいないファム・ファタールのような存在に肉薄しているのです。

 
 オンナは「生まれ変わらない」と死に絶える

 だんだん筒井によって「オトコに対する誠実さ」について考えるようになった矢先、筒井が癌に罹って死んでしまいます。それでいよいよ自分の人生について振り返ろうとする小えんなのでした。また偶然にも自分より、子持ちの未亡人(ちなみに美人)を選んでちゃっかり寿司屋の婿に収まっちゃった野崎と再会しちゃううしさ。結局男って、結婚相手と遊び相手を分けるんだよね〜。小えんが「真面目な学生さん」だと思ってた大学生の牧は本当に厭なやつで社会人になったから、企業の権力を使って勝手に復讐しようとするし。(よく村上春樹のエッセイや団塊世代のオッサンたちが云う右翼の活動家学生って何者? と思っていましたが、藤巻潤演ずる牧はドンぴしゃで当てはまります。のちの映画ドラマでもこういうポジションの若者は私の観るところいなかったような・・・)何故牧のような「粘着質のストーカー男」が当世の若者代表として描かれたのかは分かんないのですが、一つ言えることは、小えんの男遊びとは戦前の花柳界や都会に住む庶民の恋愛ルールの良識にそったものであるということです。つまり意外と彼女は古き良き洗練された戦前日本の大衆文化を受け継いでいる美人なの。(予告篇では本能に従ってなんてキャッチが入っているにも関わらず)具体的にいうと戦前までの「男がセックスしてもよい段階」というのは自分の腕で食っていけるかどうかがあくまでも「基準」です、決して「承諾年齢」ではありません。十代の孝平という少年は工員という身分ですからいくら未成年でも経済的に独立してて「男として立たせてやる」ことが必要なので小えんは遊び相手に選びましたが、牧は学生である以上いくら好感を持っていても引っ張り込んではダメな人。こういう戦前までの常識が牧のような中途半端に民主的な若いオトコには理解できないし、却って逆恨みされてしまう。なので小えんが「二度生まれなきゃならない」というのは生き延びるためには、結局戦前の価値観から脱却しなきゃならないということなのだったりします。日本映画のヒロインはどうやら「宿命」を背負っているというより、「消費文化」や「時代」みたいなのをしょっているらしく、時代の変わり目を読み切らないと死んじゃうかもしれないという緊張感がないと、やっていけません。だから日本映画には厳密な意味でのファム・ファタールは存在しないし、よくできた女性映画はかなり辛口の社会派映画になりがちです。

ノルウェイの森 文庫 全2巻 完結セット (講談社文庫)

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 「女は二度生まれる」について考えていたら、「なんだか書いてあることは理解できるんだけど、結局何について書かれているのかさっぱり理解できなかった」この小説の何分の一かが解かったような気がしているのはきっと私だけでしょう。(笑)「女は二度生まれる」の公開は1961年、「ノルウェーの森」の頭でっかちな高校生たちがやらかしたことが1969年。この間たったの10年も経っていなく、その間も「右翼の活動家学生」はずっと暗躍し続けていたと。そして映画の最初に小えんと筒井の会話の内容を思い返すと、なんだか目まいがしてきます。そりゃぁ、「ノルウェーの森」の登場人物が皆おかしくもなるわさ、当然。むしろ全編通して正気のままでいるワタナベ君の方が化け物なのかもよ。