トンデモ悪女伝説①「蜘蛛女」のレナ・オリン

 ファム・ファタールから悪女へ

 というわけで「ファムファタール」で勝手にまとめていたシリーズを止めて今回から「悪女」っていうカテゴリーで括ってみたいと思います。「ファム・ファタール」って結局なんなの?と考えてもなかなか答えが出ませんが、「ファム・ファタール」というフランス語なのにも関わらずほとんど取り上げた映画はハリウッド映画ばかりでした。日本の映画はともかくとしてヨーロッパ映画ファム・ファタールについて何故取り上げないのかというと、ハリウッドにおけるファム・ファタールとは主に米国男子の為のものであって、その他の国の男子にはあまり関係ないものだったからということに尽きます。フィルムノワールに代表されるような1930年代から40、50年代のハリウッドではフロイディズムで脚本の構成(コンストラクション)を考えることが多くてその結果普通の女の子の言動を分析して、デフォルメしてみたら思いっきり謎のようになってしまった為、きっと「とりあえずファム・ファタール」てことになっちゃったんではと私などは思います。だいたいフィルム・ノワールなんていう犯罪映画に無理やり美女をはべらすのはハリウッド映画だけのお約束で、フランスや日本の北野武映画にあるようなフィルム・ノワールは男ばっかりの映画です。

ヌッ、フォ、ファ、ファ、バァー

 実をいうと蜘蛛女と呼ばれるヒロイン(レナ・オリン)の笑い声しか覚えていないような気がする・・・それだけ内容があんまりないような、でもよく細部は思い出せるんだよね〜という映画。90年代初めのハリウッド映画はフィルム・ノワール再興といえるぐらい、まず悪女ものスリラー映画から始まって、同時にタランティーノに代表されるような「男の子ばっかり」出てくる群衆劇が中心の新しいタイプの犯罪映画(かなりお笑い要素が入ってくるので主役が皆大人になりきれないオッサンにしか見えない)、異常心理のシリアル・キラーものなどがてんこもりの時代でした。特に悪女ものでは氷の微笑 [DVD]なんていう空前のヒット作が1992年に出まして、にわかに悪女もの映画ブームが起こり、翌93年「蜘蛛女」、冷たい月を抱く女 [VHS]ていうのも公開されました。(「冷たい月・・・」の方は主役がニコール・キッドマンです)「氷の微笑」のシャロン・ストーンは一見おバカな金髪美人に見えるけど、本当はIQが高くて若い時からずっとスターを目指してたんだぜ、ってエピソードが映画宣伝になってたのを思い出しますが、要するに90年代からフェミニズムの影響が米国社会に広く浸透してハリウッドの犯罪映画美女にも及んできたということでしょう。で、こっちの「蜘蛛女」は脚本が映画公開の10年前から業界の評判は良いんだけど映像化無理で知られてたというのが「フェミニズムっぽい話題」になっとりました、脚本も製作もヒラリー・ヘンキンという女性がやっているからですね。かくいう私もフェミニズムっぽい宣伝に乗せられてなんと上記の3本とも劇場で観ちゃったのですが、今思うと正直いって3本ともかなりアホなところが多かったような・・・そのなかでも、「蜘蛛女」は最もストーリーを忘れているんですが、細部と役者陣の姿は一番印象に残っているのはきっと映画の骨子というものが一番しっかりしていたからかもしれません。そして何より観客がはっきり覚えているのはレナ・オリンゲイリー・オールドマンと決してセックスしないことだったりするのさ!


 彼女に誘惑、されてたの?

 とにかくセックスはしないんだこの二人。発端はマフィアとつるんでる警官(ゲイリー・オールドマン)が任務でロシア出身の女殺し屋モナ(レナ・オリン)を護送しなきゃいけないのに、彼女の「逃がしてくれたらアンタに分け前あげる」という申し出を悪徳警官がつい承諾しちゃうもんだから、彼の運命の歯車が大きく狂っちゃう・・・なんてぐらいじゃ済まない目に合うのだよ。警官ゲイリー君は同僚からロミオ(色男)と噂されているくらい奥さんは知的な美人(アナベラ・シオラ)、愛人はピチピチの若い娘(ジュリエット・ルイス)、マフィアからの裏金で懐がザックザクなので別に危ない橋を渡らなくてもよさそうだとも思うのですが、彼(ロミオ)にはそんなことはできない、だって美女に誘惑されて据え膳食わなかったら色男の恥じゃんか! でも殺し屋モナがロミオに話を持ちかけたのはあくまでも「申し出」であって「誘惑」ではないの、少なくとも最初の段階は。ものうげな表情でクールに言い放つ彼女はロミオにしたら「その眼はおいら誘ってるじゃないの」かもしれませんが、モナの方には男を誘惑するほどの心の余裕があるかどうかわからないじゃないですか。だってこの女の人ロシア出身、ロシアでもずっと裏稼業をしてきたのよ、米国の民主主義なんかには到底理解できない共産主義下のソ連時代でマフィアやって、ただここに流れ着いてきただけなんだから、米国原産の女たちとは違うかもってまず考えるべきだよね。

 
 得体のしれない外人女

 そんでもってうっかりモナを逃がしたロミオはマフィアの親分(ロイ・シャイダー)に大目玉をくらって事態の重大さに気が付き、今度は慌ててモナを捕えようとするのですが、時すでに遅し。やがてモナの魔の手がロミオの周辺にまで及んでくるのでした。車の中で二人が「プレイ」の変わりに「バトル」をするのですが、モナの攻撃はなんとロミオの首根っこを股に挟んで自分はぐるぐる回っちゃうというもの! (こんなことされたら苦しいのか? ひょっとしら嬉しいのかこの男? と一瞬思いましたが、そんなことはないやね)モナの「ヌッ・・・」の笑い声と一緒にロミオは呻きながら回転しだすもんですから、すっごいギャグだな・・・と当時から忘れられないのだ。愛人のジュリエット・ルイスはあっさりモナに殺されて彼女はルイスの死体を自分だと偽装するし、(モナは己の片腕を切り落としてルイスの死体とセットにしちゃうのだ)、奥さんのアナベラはモナに襲われてから映画からキレイさっぱり消えてしまいます。ロイ・シャイダーの親分までがわけの分からないまんまモナに生き埋めにされて死んじゃうに至っては何故にこの女はここまでやりたい放題できるのがもはや謎です。ただ謎ではあるものの、「氷の微笑」のシャロン・ストーンよりはこっちの方が数段怖い、それは「モナの強さ」というものが謎ではあるけれどもきちんとした「根拠」があるということですね。モナの強靭さはアメリカ女の強さではない、アメリカ男には予測不能な得体のしれない外人女のものだから。モナは少し前まで共産主義だった「野蛮な大陸」からやってきた女です、共産主義の大本には「唯物論」があります。議論の結局中心は「ただモノがあるだけさ」というのが唯物論、私もよくは理解できないのですが、米国というのはどうやら理念というかお約束という目にはみえないもので建国された国で(それを民主主義っていうらしい)「ただモノ論」という目に見えるものの信仰が絶対の旧大陸の論理が本当に怖いみたい。ちなみにこの映画英・米合作映画で、マルクスエンゲルスは「資本論」とかを確かロンドンで執筆したなんていう話も聞いたことあるので、それもこの映画に関係あるのかもしれません。

 ロミオとモナのその後

 今回「蜘蛛女」のアマゾンレビューを覗いてて面白かったのは男の人の書き込みはゲイリー・オールドマンの演技に対してばっかりだったことでした。でもわたくしを含め女子の間ではただの間抜けにしか・・・よくこんないいところナシの役引き受けたなあって正直感じてたので男子のオールドマン支持にびっくりしたもんね。いなくなった奥さんを最後まで探そうとするナレーションで終わるラストとかさぁ、コイツあきらめ悪いよねと思う人間と「男気」を見出す人間に分かれるのか、いやあ映画の観方ってそれぞれだね・・・でしめても良いのですが、続きのコメント一点だけ言わせていただきます。この映画の後、レナ・オりンはショコラ [Blu-ray]で再びジュリエット・ビノシェ共演したりしましたが、それよりも印象的だったのが、エイリアス シーズン1 コンパクト BOX [DVD]シリーズでジェニファー・ガーナ―のお母様でロシアの二重スパイを演ったヤツでしょう。オールドマンの方といえばこの前裏切りのサーカス コレクターズ・エディション [Blu-ray]でオスカー(主演男優賞)を取りました。ここで私が何を言いたいか読めちゃう方もあられると思いますが、「蜘蛛女」は決してフェミニズムっぽいだけの悪女スリラーではなく、冷戦体制が終わった後のアメリカをはじめとする自由主義先進国の漠然とした不安を描いている映画ということです。ついでに言うと「蜘蛛女」以降ハリウッド進出を狙う海外女優陣のスタンスが「エキゾチックな美女」から「得体のしれない外人女」に変化したということもありますね。男の股ぐら蹴っ飛ばしても平気なチャン・ツィー、奇天烈なサブカル少女の工藤夕貴、アンビリーバボーな買い物客の松田聖子、レア・セドゥという仏映画界の新星は「M・I・B・ゴーストプロトコル」でアニメキャラみたいなダイヤマニアの殺し屋を演じてドバイの高層ビルから吹っ飛ばされるし、菊池凜子もクールジャパンなロボット物ヒロインを演ります。今まさに「世界はグローバル」で「既成の男子の幻想にとらわれない女性像」が求められていますので、女優陣もちょっとくらいイロモノにみえる役柄だけどそれでも全然オッケーなのでしょう。ホント良かったですね、先駆者2人の役者たちも果敢に挑戦した分の利益を受け続けているみたいだし。