ファムファタールな女⑦ 「拳銃魔」のペギー・カミンズ

拳銃魔 [DVD]

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 ボニー&クライドもの映画って何?

 そのまんま原題が「ボニー&クライド」になっている俺たちに明日はない [Blu-ray]だけではなくハリウッドにはいくつか「ボニー&クライドもの」という犯罪者カップルのボーイミーツガールなお話の映画がいくつかあります。これはその中でも伝説の一本で名作の誉れも高いんです。とはいえこの映画単独で見るよりも「拳銃魔」より先行して発表されたこれまた名作の暗黒街の弾痕 [DVD]と「俺たち・・・」で合わせてご覧になるのが、当然ですがおすすめ。この3作はいずれも前作から影響を受けて製作されていて「拳銃魔」のジョン・ドールには「暗黒街の弾痕」のヘンリー・フォンダの演技に対しての強いリスペクトを感じるし、「俺たち・・・」の中のエピソードには「拳銃魔」からそのままアレンジしたものがありますよ。「暗黒街の弾痕」が1937年、「拳銃魔」が1949年、「俺たち・・」が1967年と15年程度おきになんか思い出したように作られているから不思議です。

 映画とフロイディズム・・・「拳銃魔」の場合

 1940年代、特にフィルムノワール全盛期においては、映画のなかのフロイディズム(フロイト効果といったらいいのかい?)をやたら利用したと映画史のなかでは言われております。そのなかでも「拳銃魔」は主人公の拳銃に取りつかれた青年バート(ジョン・ドール)の描写に代表されるようにあざといまでにフロイト効果を狙っているので、映画全般通して「性」と「暴力」について的確に表現されています・・・というのが映画評のなかでも一般的な意見です、つーかとってもマッチョ過ぎる評だけどさ。ところで、精神分析学=現代思想って思っている人は案外知らないのかもしれないけど、特にフロイトでは顕著なのですが精神分析というのは心理学においては「物理学のコンセプトをパクッた」心理学の流派なのね。つまり心理学とはそもそも何ぞや? っていうことを考えると「人間を理解する為に自然科学の体系を参考にしてます、まあでも結局パクリってことでぇ」という事実にいきあたるとか、いきなり映画とは関係なさそうな話を繰り広げてなんですが「人間の行動についても何とか運動のような物理の法則みたいに考えてかまわない」⇒「そんな人間行動の法則ったってどうやって証明するのさ」⇒「フィクションという形ならできますよ、特に演劇とか映画とか」てことがいえるので。・・・小説じゃダメってわけでもないのですが、とにかくお芝居や映画はチームで議論しながら作らなきゃいけないし、製作するために他人を説得する時にはツールとなる理論が必要だ、となるわけです。「拳銃魔」については臆病だけど拳銃という危険なものに取りつかれている主人公の行動に一貫性というものは見いだせるのか? 役者の演技としてどうやって表現するのか? そんな主役二人の男女をどうやってビジュアル面でサポートする(つまり演出する)のか?という諸問題をフロイディズムを利用して解決しようとした結果ああいう映画になってるので、拳銃って要するに男のアレの象徴でしょ〜とかそんな生易しいものではありません。だいたいセリフにやたら「野獣」って単語がでてきますが、これはペギー・カミンズとジョン・ドールの二人がライオンやピューマのような猛獣だと規定しているわけではなく、むしろホントはちょっと臆病で可愛気のある小動物みたいなカップルだと言ってるに過ぎません。そう二人は実はとってもキュートなりすの夫婦だったのだ! 

 森のりすも、巨大化して人間界のコンクリートジャングル(森)で暴れちゃったら一大事

 男の人は「拳銃魔」の主演二人についてペギー・カミンズについてはいろいろ語るんですが(山田宏一センセイも謎のような典型的ファムファタールって書いてます)ジョン・ドールに関しては皆口をつぐみます。彼はブロードウェイから映画に進出した直後からオスカーにノミネートされる等、結構嘱望されてたらしかったのに、続かなくて1961年に引退してしまいました。今回映画観てびっくりしたのが、二人がカーニバルの客と演じ手(百発百中の射撃の女王)として出会うシーンで、ジョン・ドールが身を乗り出してペギー・カミンズを見初めるのですがその表情がまさに「人間の顔」じゃないんだわ。しかも「欲望に餓える犬」とか「人間に至らない猿」とかでもない。そんなのだったらまだありきたりで以前にもあったと思うのですがジョン・ドールのソレはあまりにもヘン過ぎて、冷たい表情をして応えるペギーの方も演技というよりただ本気で引いちゃってるとしか私には思えなかったもんね・・・これって一体何? 何?て考えて結局これはりすがどんぐりを頬張ってて固まってるときの顔に似ているという結論に達しました!彼は「拳銃が上手」という自分なりのエサの取り方を習得しているのに誰にもそれが理解されてなかったのですが、初めて理解してくれそうな相手を見つけて思わず「りすの本性」が露わにされちゃったんだね〜りす顔にはペギーも困りましたが、彼女も彼と同じ悩みを抱えていたのか二人はすぐに意気投合してサーカス団から駆け落ちします。でもすぐにお金に困っちゃうのでした・・・だって二人とも「エサの取り方」が独特で通常の人間界ではなかなか花開きそうもない能力ですからね。だから彼女は「どんぐり取りに行きましょう」と言うがごとく「強盗しましょう」と彼を誘います、彼女が何ともキッパリした態度で提案するのは「だって私もあなたと同じりすの仲間だから、本来の私達の姿を一緒に取り戻しましょうよ」ていう気持ちからきているのです。で、二人は最初にホテル、銀行、食肉会社と緻密な計画のもと強盗を繰り返していくのですが、なにせ二人とも「本性がりす」なもんですからせっせとお金を「鞄預金」しながら「もっと暖かい場所に行けばまだどんぐりが残ってるはずさ」てんで南のマイアミやカリフォルニアへと逃亡していくのですね・・・ちゃんとした縄張りが彼らにも与えられてたら「他人を撃ち殺さなくても」もいいし、「恐怖で頭真っ白」にならなくてもいい。二人とも善人で心穏やかに暮らしていけるのかもしれないよ。少なくとも1940年代末ぐらいまではボニー&クライドの逸話は大恐慌時代の人々の辛い経験とともに思い出されるものだったようで、「暗黒街の弾痕」を新たに解釈し直そうとして「拳銃魔」やニコラス・レイ監督の「夜の人々」といった映画が作られました。

 結果としてあまりにもアバンギャルド

 だから「拳銃魔」を観て「何これ?」とポカーンになっちゃう人にはりすってのはとにかく逃げ足が速いものだからと理解してかかることをお勧めします。ジョン・ドールとペギー・カミンズのすんごい猛ダッシュぶりは名高い自動車にカメラを固定した強盗シーン、カーチェイスとともに見ものです! カリフォルニアでちょっと豪華なデートをする時にペギー・カミンズが毛皮のぶっといストールを唐突に巻いて来たりするのですが、ほんとに「りすのしっぽはこうだよねぇ」ってかんじなのだっ。案の定、警察が真近にせまるので、二人はレストランからまさに激走、この時のカメラのリズムも凄いよ! それでペギーが途中でストール落っことしてたのがなんか哀し気なんだけど、そんな暇もないのさ。この後二人はあっという間に彼の故郷に戻り、地元の沼地であっけなく死に絶えます。ラスト沼地のシーンでも、この映画どうして1949年製作なんだろう? どうして69年とか89年あたりじゃなかったんだって悩むくらいカメラワークも役者の演技も斬新過ぎ・・・ その為公開当時は全く理解されず、B級映画としてしか認知されなかったのは良いとしても、その後監督のジョセフ・H・ルイスや脚色担当したダルトン・トランボが映画史のなかでも特筆される存在として評価されてる現代、主役のジョン・ドールの演技だけが未だにクローズアップされてないのが個人的に残念だと思います。今どきのアニメや劇画調の演技を見慣れた若者なら「なんでこっちの男の人、大スターにならなかったの?」て言いそうだもん。ヒロインを引きずって沼地を歩く彼の姿は思わずこのまま「進撃の巨人・実写版」で巨人になってもらえないだろうかぁぁというような動き方でありました。ちなみにジョセフ・H・ルイスって、ジョン・ドールが引退後の65年になぜか役者といて復活したらしい・・・なんでまた?