ファムファタールな女④「メリーに首ったけ」のキャメロン・ディアス

 電気こてからヘアジェルまで

 その昔、映画スターは映画会社によってルックスを緻密に管理されていました。なんで女優=整形疑惑というのはつきものなのですが、いくらなんでもどうしてぇ? と思ったのは「リタ・ヘイワ―スは額を拡げる施術をした」ってやつ、要するに前髪が落ちてこないように電気のこて(というか現代のヘアアイロン)が当時開発されたのでそれを「リタ・ヘイワ―スの新しいヘアスタイル」として提案したということだけらしいです。一歩間違えると髪の量が多すぎるので「禿にする整形」したんだあと受け取られかねないじゃんかとも思うのですが、かくにも女性の美はより自然であるのがよろしいというコダワリが「額の施術」なんて表現を産むのでしょう。そして時代は下り、20世紀も最後になると女性の髪形はさらに自然に、自由に遊びましょう! となって、簡単にスタイリングできる整髪料が続々登場してきました。特に「メリーに首ったけ」に登場するヘアジェルは超強力です、なんたって動物系の天然素材100㌫でできているのでもう貴女の前髪はビンビンに立っちゃいます!

 でも、どこかが「牛っぽい」・・・

 すいません・・・キャメロン・ディアスはあまりにも今風な女の子なのでルックスに牛っぽいところはまったくございませんが、そういう現代的なヒロインの名前がとっても牛っぽいではありませんか、どうしても、「男どもが羨望する美女=きれいで健康な牝牛」というイメージが米国の男性の頭の中にはセッティングされているような気がしてしょうがありません。(気を悪くする人がいたらゴメンなさい)ファレリー兄弟監督作品ではこの後愛しのローズマリー [Blu-ray]という映画もあるのですが、こっちはヒロインどころか登場人物の女性たちの「牛っぽさ」感がさらにパワーアップしていまして、女性の一般的な「美醜の差」という枠さえも超えてまで容貌の細部にコダワリ過ぎる男たちの悲喜劇が展開されております。実をいうと「メリーに首ったけ」にしたって「男の本音・妄想」から始まった物語が最後には「罪悪感と結局自分探し」に収れんせざるをえないから、男女とも気持ちよく笑えるのです。そう、アメリカの喜劇映画は昔からとにかく内省的なんですね。

 簡単に反省するヤツは、「懲りない」

 一応あらすじを説明すると、30手前男の主人公(ベン・スティーラー)は高校時代に憧れだった同級生のメリー(キャメロン・ディアス)のことが忘れられなくて意を決し、彼女が現在住むLAへと乗り込んでいくのですが、そんな彼の行く手を阻むのは同じく「メリーに首ったけ」状態になってしまった(本来は主人公がメリーを探すため雇ったのに)探偵(マット・ディロン)をはじめとする何人もの男たち・・・さて、メリーの愛は誰が勝ち取るのかしらん? ってことでいいでしょうね。まあとにかく「やっぱナイスな女の子とどうにかナリタイ」→「でも果たして自分は彼女の内面とか、魂の深いところまで理解した上で愛しているのだろうか?」→「うっせーな、男はただいい女とヤリタイだけだぁ!」→「でもそれじゃあ・・・」って延々と・・・またその繰り返しが強烈ギャグを産むという近年まれに見るほどシンプルかつシャープな傑作であります。まったく関係ないのに繰り返し虐待されるメリーの隣人が飼ってるというのが登場するのですが(通称ギプス犬)私が個人的に驚いたのはあんなにコケにされている犬と隣人のオバちゃんを観ているのにも関わらず「あの映画の犬可愛い、興味あるのですが犬種をだれか教えてクダサイ♡」→「ボーダーテリアです♡」ていうやり取りをヤフー質問箱で発見したことですかね(映画の観方は本当にひとそれぞれですからそれも失礼な感想ではありますが)とにかくいろんな意味で懲りない・・・というよりメゲないってことは素晴らしいのかもしれないって考えちゃいました、つい。


 P・S ちなみにキャメロン・ディアスは主演の新作コメディ映画で「カウ・ガール」の役をやっています。英国紳士に対して典型的なアメリカンなギャルといったらやっぱどこかに牛っぽさがないとね! (アタシも懲りないタイプなのさ)