何だか不運な女③ 「散りゆく花」のリリアンギッシュ

散り行く花 [DVD] FRT-144

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映画の父グリフィスのメロドラマは、まる、さんかく、しかく

 この映画のことは以前から主にロリータ愛映画としてしか認識しておりませんでした。ハリウッド・ロリータって本によると無声映画時代の女優は殆ど10代半ば過ぎのアイドル嬢ばっかりで、舞台等に出てくるような大人の女性は登場せず、またそれが当時の観客には熱狂的に受け入れられていた、みたいなことが書いてありましたので、やれその後の映画作家たちに影響与えましたなんて他で言われても、現代の婦女子からするとキモいだけなんでしょ、興味無しで済ませていました。・・・まあ、結果として面白く観られたかどうか別としても本当に今でも「映画の教科書」であることは確かです。特に可愛い女の子が撮りたい、可愛い女の子が可愛くしている姿をずーっと観てたいヒトには必見。
 
 観て意外だったのは映画が始まってしばらくは延々と主人公である中国人青年の故郷である港町の描写が続く、つうか丸顔の中国娘がやたらと登場してくること。これだけだとグリフィスって白人至上主義とは無縁のお方かと勘違いしそうになりますが、実際は真逆だったらしいので、そこまでアンタ丸顔の娘が好きなのかい?って突っ込みたくなりますね・・・で青雲の志を持ってロンドンに到着すると、そこには東洋的な精神主義とは程遠いフラッパー風の若い女の子が出迎える、でもその子も丸顔っていうのが序盤のシーンだったりするんです。だから結局青年にとっての冒険って一緒に居てくれる丸顔の女の子にたどり着くまでの旅ってことのアピールなのかもしれないですね。明晰なる頭脳の現代映画男子だったらこれだけでも結構身に詰まされたりするんでしょうか? 
 
 ひたすら「まるい顔」女の子たちが住む故郷から離れ、「さんかく」の船に乗ってやってきた青年は、「しかく」の建物だらけの暗いロンドンの都会で理想を打ち砕かれ背を屈めて暮らしていると、そこで「自分と同様に背を屈めて」街を彷徨う丸顔の美少女、リリアン・ギッシュと出会います。後年ギッシュ嬢は中国人青年役のバーセルミより自分の方が大きかったと発言していますが、ボクサーの義父の暴力に日々おびえながら卑屈に身を縮めているリリアン・ギッシュは最初あんまり可愛くありません、それこそお婆さんのようです。なので彼女の笑顔が輝くのは青年にまん丸いデイジーの花をもらってから。とにかくヒロインが12歳のふりをしたロリータ女優であろうがなんだろうが、ここでは男の愛に包まれないと女は決してキレイにはなれませんという恋愛映画の王道が貫かれております。そしてもっと大事なのは「散りゆく花」って止まったまんまの恋愛だけではなく、活劇のメロドラマでもあるので、ヒロインは鞭打つ義父から盾となる食堂の四角いテーブルから青年の住む部屋の寝台へ、それから今度は義父の寝台へ!とやたら移動させられるのです。まあこうやって書くとホント「ハリウッド・ロリータ」のようにグリフィスって映画史に残るエロなシークエンスを撮った監督っていわれてもしょうがないか(しかも最後はリリアンは義父の寝台で死んじゃうし、青年はオヤジを拳銃でぶち殺すと自分の寝台にリリアン寝かして自殺するのさ、「寝台で死んでる=セックスした後に死んじゃった」って考えると怖いよね)

 そして映画の最後には再び青年の乗った「さんかく」の船のシーンで終わります、さんかくの船っていってもシルエットなので船っぽさはゼロです。何が言いたいかっつーと映画が単純な図形を用いて抽象的かつ文学的なイメージを可視化しようとしていること。だいたい無声映画なので細かいこと言ってもなかなか伝わらないでしょ。「まる」はヒロイン、女の子、お花でいいわけですが、「さんかく」は青年自身、「しかく」はざっくりいって世の中全般てとこでしょうか。横暴な暴君としての義父は「しかく」のリングのなかで常に戦い、王者としてしかくを征服した後で義理の娘と中国人青年のことを知り激高します。そして悲劇はクライマックスに達するのです・・・ね、なんだか映画の教科書ぽいでしょ。