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なんだか不運な女「晩春」の原節子

とりあえずはご挨拶から
 

晩春 [DVD] COS-021

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最初にこの映画を取り上げようと思ったのは割とわかりやすいとこから始めるつもりだったからなんですが、ネットですでにある批評、感想なんかを検索しただけでもとんでもなく小難しい・・・どう書いたら
いいのか考えると憂鬱で、結局なかなか取り組めませんでした。という訳で、まあ一度ぐらいはこの映画観たことあるというヒト向けにハナシを続けたいと思います。


ヒロイン紀子が結婚に対して恐怖を抱く実に真っ当な理由
 主人公の紀子は「父親が娘を早く嫁がせようと自分に再婚の意思があるとわざと芝居するのに、それを誤解して傷ついている」ということに一応なっているのですが、本当のところは父親の再婚話の前に父の弟子にあたる(宇佐美 淳)にかなりひどい形で振られているというエピソードがきっちり存在しています。この父親の弟子という男、紀子さんよりだいぶ年若くてしかも美人(紀子さんに容姿ソックリ)の農家の娘と結婚し、「結婚したあとも、お前が付き合いたならこれからも会ってやったっていいんだぜ」みたいな台詞をニコヤカに言われる始末。戦前からの日本のメロドラマ(それも割と左翼っぽいヤツ)ではかなり定番の設定、展開ではあるのですが、そこをカラッと普通に流しているのが、まずこの映画の異様なところなのです。
 
 そして紀子さんの受難がさらに続くのが女子校時代の友人のお嬢様(月岡夢路)とのシーンです、久しぶりに友人宅に訪問し、かつての級友たちの近況などを聞いたりするのですが、多くの女性たちがあんまり幸せそうでもありません、未婚のまま子供を産んだなんて話も聞きます。結婚してもうまくいくのは殆ど「運次第、それも若い時にした人間」だけという事実を突きつけられるだけです。ついでにいうと月岡夢路の浮世離れしたお嬢様はなぜかでっかいクリームを塗ったケーキ(それも1ホールだよっ!)で紀子さんをもてなすのですが、これって独身でも家族と財産がしっかりあれば幸せというヒトと、そうでない親一人子一人の紀子さんとの対比なのでしょうか? まるで現代の独身女性間における格差の構造についてのお話みたいですね。

「晩春」を一回見ただけでイマドキの女性達がこの紀子さんの身の上をすぐに理解できるとは思えないですが、やれ独身女性の3人に一人、母子家庭の大半が貧困家庭なんて報道を受けながら「なんでウチの娘30にもなって契約社員だわ独身だわでも全然焦んないの」と心配しているお母様方などはこの映画の非情さがじわじわ伝わってくるかもしれません。昭和23年当時も、戦後で適齢期を逃したり未亡人になったりして生涯独身を貫いた女性がいっぱいいました。男女の人口比が異常だったので圧倒的に男性にとって売り手市場だったからです。まあイマドキの男子のみなさんにとっては今現在事態がすっかり逆転しているので、こういう映画はもはやどうでも良いのかもしれませんが、「晩春」がとってもメンドクサイ映画だというのは他にも理由があります。


「映画とは女と銃」と日本映画が持つジレンマ
 さらに言えば前述したメロドラマ的要素が確信犯的に奥に隠されているという事実を指摘したところで、例の有名な「晩春の主人公の親子って精神的には近親姦なんでしょ?」という主に欧米の人たちの追及からは逃れられないのがツライところ、この映画の本当に厄介な部分であります。いくらホウ・シャオシェン監督みたいなヒトが「もっとアジア的な家族観でモノをみましょう」と提案したところで、家族という単位があくまでも「夫婦」というカップルが基本でなくてどうする、というのが欧米人の強力なまでの人間観というか信念だからです。ハリウッド映画から影響を受け続けた小津安二郎にしたって、東洋的な血縁関係(縦社会的な絆)を軸にする家族観で映画を作らないと日本では観客がついてこないわけですが、でもハリウッドの最初の巨匠、D.Wグリフィスが定義した映画の本質の概念は「女と銃」、言い換えると女と男、セックスと暴力だったりするわけですよ。

 結局セックスだのアクションだのとは限りなく遠いところにありそうな「親子関係を軸にした家族映画」というのはさほどには面白くない素材をさらに退屈なアプローチで展開するという本当に「つまんない映画」にしかなりようがないわけでこれはなにか裏があると勘ぐられても仕方がないのかもしれません。ですが「晩春」には「女と銃」ほどまではいきませんが、「女とのどかな活劇」ぐらいの楽しさには満ちています。原節子さまが怒りでいっぱいがお尻振りながら歩く後ろ姿とか、映画最初のシーンで着ているセーターが何だか下着が透けて見えるの可愛い(ちなみに可愛く思えるのはイマドキの女の子の感覚においてで、公開当時の観客はまた違った反応だとは思いますが)とか、今見ても楽しめるのは何故だろう? と考えてみたらどうでしょう。これ以降の小津映画はやたら嫁入り前の娘の話ばっかりになるのですが、それは「娘が適齢期で嫁入り前」というのは自由に映画を作る上でも綺麗な女優を観客がリラックスして鑑賞するためにおいても「とっても便利な装置」だからでしかないので、映画作家自身プライベートなこだわりみたいに論じるのはメンドクサイから止めようよ、と話を打ち切ってから小津映画好きはみんなに紹介すべきだと思います。

 ・・・だからってちょっと見ただけじゃ何がなんだか解らないのが小津映画だけどね。