しょくぎょうふじん⑧ 「チア☆ダン」の天海祐希

 

いま現在の(2017年)日本映画に対してクサすならば

 特に日本映画の中の「女性と職業のあり方と社会進出認められ方」について苦言を呈したい貴女ならまず真っ先にこの「チア☆ダン」とまだ劇場公開している「奥田民生になりたいBOYと出会う男すべて狂わせGIRL」を観た上で積極的にクサしましょう。そしてどうしてドチラの映画にも天海祐希が出演しているのかが偶然なのかどうか?ってことです。「新感染ファイナル・エクスプレス」も確かに面白いゾンビ物&如何にも韓流感動映画ですが、今や日本映画を韓流モノと比較して文句言っている段階じゃあありません。つい最近まで「日本の理想の女性上司ナンバーワン」としてフィーチャーされ、TVドラマにひっぱりだこだった天海祐希までもが映画出演の方が目立つ今年。永年映画とTVドラマはコンテンツとして全くの別物として存在していた日本ならではの特殊な環境がようやく終わろうとしている時代に「大昔の日本映画と現代の外国映画さえ褒めとけば後は映画なんてどうでも良い」という一部フェミニストの映画ファンの態度じゃやってけないと思います。特に小学生から高校までの年頃のお嬢さんのいるご家庭では是非鑑賞おすすめします。ごく単純に面白くて元気が出る映画ですし。あと劇場公開時に鑑賞逃してケチってYOU TUBEで観ている方(笑)大画面が観た方がいっそう楽しいシーンが実は「チアダンスシーン以外」にこそあるんだぜっ、詳しく教えてあげるわよ~おーほっほっほ♡

まだ「LALALAND」を観たばっかりだったんで

 またこの映画もミュージカルだったのか?と一瞬見まごうシーンもありましたが、後にDVDでもう一度観た時はダンスで彼女達の気分やノリを表したのねって気がつきました。広瀬すず中条あやみ以外にも新人女優の「顔見せ映画」としての一面もありますから今後の押しの女優も探してみてください。映画の冒頭から主人公のひかり(広瀬すず)を始め皆ダンスがだんだん上手になっていく課程を見せていき、いよいよ全米の大会が本格的に彼女たちの目標になった時点で、ちょっとしたダンスシーンが入るのが楽しい。劇場で観た時には映画前半部のクライマックスに当たる、夜の街で一人ストリートダンスする唯(山崎紘菜)にひかりと彩乃(中条あやみ)が加わって三人で踊るトコが印象に残ったのですが、DVDで見直したらまだ彼女たちそれほど上手くは踊れていなくて私もおばさんなりに自然と若い女の子達の青春ストーリーにストンとはまり過ぎていたのかと改めて思いました(笑)。シネコンの劇場も思った以上におばさん&シニア女性の割合が高く、年頃のお嬢さん方が「まあ皆さん娘さんらしくなってぇ」と感慨にふけって喜ぶほど自分も「老いたり」と感じましたわ。で、そんでもって「此の子たちにも年相応に娘時代を送らせねばっ」と若い女の子達を𠮟咤するおばさんというのはよく「おでこは全開にするものなのだっ」とのたまうものなのです。チア部の鬼顧問のおばさん教師早乙女(天海祐希)のように。

未だ映画のモデル(部活動)も存在しているからこそのリアル感

 映画は抜けるような青い空のアメリカの風景から一瞬で「福井」のタイトルとともにどよーんとした湿気を含んだ山陰の風景に変わります。この辺のベタな演出を非常に嫌う方もおられるようですが、私自身は製作者側と被取材側の関係の近さが肌で感じられる脚本と演出だとそれなりに興味深く感じております、なんたって「事実に基づくストーリー」てやつですし(笑)。459(じごく)の車ナンバーと車の所有者早乙女が語る「それじゃ地獄よ福井地獄よずーっと福井のままよ」の台詞が繰り返されるの最初は自虐的な「福井アピール」だと笑って観てたのですが、そのうちに「このへんの描写福井地元民のお怒りに触れるスレスレなのでは」と少し心配になりまして、後で「やっぱりロケーションは福井じゃなくて新潟かっ」とかチェックしてしまいました。他にもひかり達と袂を分かつチア部の同級生役として柳ゆり菜がバレエをそれなりに披露していますが、肢体がバレリーナというよりやはりグラビアアイドル仕様なわけでこれにもイラッとくる方もいるらしいのです。しかしながらこの映画の柳ゆり菜は出演する他のどの女子高生よりも福井弁のイントネーションが素晴らしく、役柄が地元旧家の広いお屋敷に住むお嬢様でひかり達がチア部の解散危機を防ごうと誘っても「私やっぱりバレエを始める」と断ってしまうやや痛い感じの女の子になっていました。んで夫はこのお嬢様役が柳ゆり菜だと途中から気がついたけど私は当初エンドロールで見つけて少し驚いたくらいでしたよ。私観た後なぜだかかつての大映ドラマ「スワンの涙」におけるヒロイン宮沢りえ(初主演ドラマだったのさ)のライバル武田久美子を唐突に思い出したんですが、柳さんこれで女優としては武田久美子越えしたと思われます。それからひかりのお父さん(木下隆行)がかつて福井商業が甲子園準優勝した時のレギュラーになっている設定だとか。何故そんなマニアックな「部分」に凝るのだろう?ホントにそんな事実があって映画に盛ったのか?・・・等、不思議な見所がありましたね、これは大人向き(といおうかおっさん向き)な映画としての魅力かも。ひょっとしたら監督(河合勇人)の趣味なのかな?俺物語!!(通常版) [DVD]も撮った方なのですがこの映画も非常にティーンムービーのはずなのにオッサン支持が絶大といおうか以前映画館にて「俺物語!!」の予告編も食い入るように見つめていた中年サラリーマンが「コレ今度観たいな観たいけど恥ずかしいから劇場で観られないでも観たい」と背中で訴えているのを見かけ、驚愕した記憶があります。(笑)

「世界のてっぺんに立った」・・・でも「福井」からは逃れられないのかっ

 んで、ひかり達がチアダンス世界選手権で見せるダンスシーンに関しては私、それほど苦言もございません。かつてのチアーズ! ブルーレイ&DVDセット(初回仕様/2枚組) [Blu-ray]のシリーズや実際に全米のスポーツリーグで活躍するチアリーダー達のダンスを取り上げた映像コンテンツ等と比較してみたら、出演者のチアダンスを一曲ぶっ通しで撮ったのをベースにして編集してストーリーを語っている(合間に福井と中継されて地元で応援しているのを描写していたり、USの実況アナウンサーの適当さも実態に近そうw)ているだけでも、たいしたもんなのかもしれないし。むしろなんだか「がっくり」きたのはエピローグシーンでひかりや彩乃が卒業後に自分の夢を見つけたり実現したりするくだりの方だったりしたかもぉ。きっと地元の福井の大人達は安心できるような「大人像」なんでしょうけど。選手権の決勝前に「早乙女先生の葛藤と軌跡」の回想シーンがつづられるのですが熱血教師という以上に地方では教職というポジションがいかにデカいか、はっきり言って「社会起業家並レベル」まで求められているかも、ぐらいの活躍と思い詰め方にびっくりしたもので。それなのに後でコレなのかあ・・・て気がしましたよ。「世界のてっぺんたどり着いた時に見える風景があるのっ」て早乙女先生は激を飛ばすのですが、見えたのは〇〇の天井ではなく福井の厚き壁(福井の大人達の想像のつかないことはやっちゃ駄目w)だったのかも。まあ「女の子のキャリア問題」に関しては2018年度のTVドラマ版に期待をつなげた方が良いってことなのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しょくぎょうふじん ⑦ 「ジェネラルルージュの凱旋」の竹内結子

 

ジェネラル・ルージュの凱旋 [DVD]

ジェネラル・ルージュの凱旋 [DVD]

 

 原作の田口、白鳥シリーズはどっちも男性です。

 それを映画化の際に心療内科医の田口役を田口公子(竹内結子)として女性に置き換えたのがこの映画。海棠尊の田口、白鳥シリーズでは他に「ケルベロスの肖像」が伊藤淳史仲村トオル主演で映画化されており伊藤淳史が田口役を務めています。映画化にあたり田口を女性に換えたのは中村義弘監督の強い希望だそうで、映画では田口が病院や医療関係者とソフトボールチームでピッチャーをやっているシーンが話のポイントになったりさえしているのですが、シリーズが続くにつれ原作小説の男性田口は戦車マニアになったりともう絶対に田口を女優にはやらせないとの原作者の意向が強くなったようで(笑)竹内結子の田口役はチーム・バチスタの栄光 [DVD]とこの「ジェネラル・ルージュ・・・」の二作でピリオドになりました。ジェネラルルージュこと速水晃一(堺雅人)がもう裏の主役じゃね?ぐらいの存在感があり、この役で堺雅人日本アカデミー賞助演男優賞を取った・・といおうかももう殆ど半沢直樹の予告編のような活躍ぶりです。今回この映画を取り上げた理由として一番の興味は主にどうして田口公平が田口公子に変更されたのか?に集中しているのですが。通常ミステリーにおいて探偵役の性別や年齢の設定は極めて重要とされ,、本来探偵役のキャラクターの性別を換えるなんてのはとんでもない愚行にあたると考えるのが本格的なミステリーファンの心得なんです。某有名推理作家の場合はあまりにも映像化にあたり探偵役の設定を勝手に変えるのに怒って映像化を断るようになったという話もあるくらい。で、映画を観ただけの私自身の印象としては「チーム・バチスタの栄光」で作家デビューした海棠尊氏が田口を「不定愁訴の外来を受け持っている」という設定にしたのが運の尽きだったね失敗したね気の毒にという事くらいでしょうかね。

白鳥&田口は「完全なるホームズ&ワトソン」ではない

 「ロジカルモンスター」の異名を持つ厚生労働省のキャリア官僚の白鳥圭輔(阿部寛)は医療過誤死に関するエキスパートとして病院やそこに勤務する田口たちに対しては圧倒的な権威であり恐ろしい切れ者としてシリーズでは活躍します。「チーム・バチスタ・・・」でもバチスタ手術をした医師や看護師達にハッタリをかましたり、わざと相手の怒りをあおったりするのが、初登場シーンとして強調されたりする。原作では白鳥がアクティブ(能動的)な捜査手法を得意とし、田口はパッシブ(受動的)な捜査手法を駆使して周囲や人々を観察していき犯人を追い詰める、というのがシリーズのパターンのようです。海棠尊は医師なので「外科」「内科」のような対象へのアプローチの仕方がまるっきり異なる人物を書き分け「探偵業を分業している」というコンビを明確に描いたのでした。これがホームズものになるとワトソンの方が「より外向的な性格で素直な見方をする人物」になるので、ワトソンの表面的な観察力は内にこもりがちなホームズの推理力にインスピレーションを与えるという役割に止まり、体裁としてはあくまでもホームズの活躍の記録係として登場するのです。なのでホームズ&ワトソンペアの個性の一部を取っ替え引っ替えしてアレンジし直して発展させたのが田口&白鳥ペアといって良いでしょう。それと田口と白鳥では病院の内部関係者と病院を監督指導する立場の官僚としての立場の違いがあるので事件調査に「ゴールする目標」が違います。映画「ジェネラルルージュ」では前作の事件をきっかけに病院のリスクマネンジメント委員会の委員長に田口公子(竹内結子)が就任したところから始まって速水(堺雅人)への疑惑と適切な処分について考えるのが彼女の仕事なのだ、というオチの構成なので、その辺も田口&白鳥の役割分担を観客にはっきり見せていくわけで原作を読んでいなくても分かりやすかったです。

探偵としての田口公子とは

 「ジェネラルルージュの凱旋」の田口公子は病院のリスクマネジメント委員会宛に来た匿名の告発状を受けて速水を独自に調査する羽目になり、医師にも関わらず血が苦手で救急病棟にも入っていけないが自分があ・・・と如何にもやる気なさそうな様子で病院の人々に話を聞いていきます。でも自分の外来を一緒にやっている藤原真琴(野際陽子)と病院内の人間関係をおしゃべりしながら速水の周囲を探っているのはなんだか楽しそう。彼女実は調査について決してやる気が無いわけではないんですね、やる気があるように周囲に悟られないようにかぎ廻っている。これがTVの二時間ドラマだと探偵役の女優が中年過ぎのおしゃべりな相方(もちろん女性)と一緒になって張り切って探偵やるもんだからすぐに調査対象の人々に警戒されるんですけど、田口は病院内の組織の一員ですから殊更渋々にやっているようにそして無能そうに見せないといけない。竹内結子の演技だとそんな感じが強く出る、こう言っちゃ何ですが男の役者より女性が演った方が「昼行灯」などともったいぶってするより展開にスピード感は出るかもしれないです。告発状を匿名で送りつけた人間も誰だか分かっていないしね。そのうちに例の白鳥(阿部寛)が自ら身体を張って無理矢理に入院しようとするし。病院内では速水と反目する大学病院の精神科助教授の沼田(高嶋政伸)や病院事務長の三船(尾見としのり)も登場するので徐々に問題が収斂していくのですが、そんな折病院の近所で鉄道の駅で大事故が発生、大量の救急患者が運ばれて来ることに・・・てなことで後は映画観てね。

チームバチスタの後、なぜだかハリウッドのTVシリーズに出演

 竹内結子は2010年にフラッシュフォワード コンパクト BOX [DVD]という米国のTVドラマシリーズに出演し、そのドラマ鳴り物入りで始まったのに見事ポシャって1シーズンで終了しちゃったのですが、もし人気が継続して竹内結子の出演も続いていたら今頃は彼女どうなってたのか解りません。どうしてオファーが廻ってきたのか?本気で海外進出狙ってたのか?(でもそれは絶対無いな)・・・とにかく謎でした。もちろん日本の竹内結子のファンには米国に進出しなくて幸運だったのは確かです。んでハリウッドが日本人の役者をオーディションする際には出演している映画&ドラマを徹底的に観ていくそうですから、竹内結子の出演している映画をハリウッド業界人は「バチスタ」を始めよく知っているということですよね。

 そしてどうでも良いことを付け加えると英国で例のベネディクト・カンバーバッチ様によるTVドラマシリーズSHERLOCK/シャーロック シーズン1 Vol.1(吹替版)シリーズの世界的ヒットを受けて米国版でも現代版シャーロック・ホームズをやろうということになり開始されたのがエレメンタリー ホームズ&ワトソン in NY DVD-BOX Part 1【6枚組】でここでは相棒のワトソン役が女性でしかもアジア系女優のルーシー・リューが演じていましてこちらも5シーズンまで続いています。「バチスタ」映画版が影響を与えたとか穿って考える必要も無いのでしょうが、些細な事でもヒントにすることが何事においても必要だし今の日本にとってはどんなジャンルでも一番欠けている要素かもしれません。

原作と映画版の最大の違い

 それはもうおそらく映画はより「二時間ドラマ」っぽく原作はより「ラノベ」っぽいんでは、じゃなかと。(笑)ラノベはさすがに言い過ぎかもしれませんが原作の速水はかなりのモテ男で取り巻く女性陣のさや当てが結構あるのだそうですが、映画ではそこはバッサリ切っているので「ジェネラルルージュ」の命名の謂われのエピソードがより引き立つやもしれません。一緒に観ていた夫は「羽田美智子って俺と歳があまり変わんねーじゃないかっ」と最後ぼやいていたのがもの凄くうざかったのですが。バチスタの小説の読者もそうゆう事ばっか気にする人が多かろうとの判断で「意志を貫いてカッコいい速水」を巡っての恋のさや当てとか必要とされたのかもしれませんね。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しょくぎょうふじん⑥ 「グッドモーニングショー」の志村未来と長澤まさみ

 

 

グッドモーニングショー DVD通常版

グッドモーニングショー DVD通常版

 

 映画グッズなんか売っている場合なのかっ(..;)

 この映画を取り上げようと思ったのは今日(2017/08/11)何気なくTVのワイドショーを観ていて「入社6年目の〇〇です」と自己紹介したTV局の女性アナウンサーの姿に衝撃を受けたからに他なりません。もはやこの局の女子アナ事情はとんでもないことになっているらしいと実感しました、が主な理由。この映画自体の出来は水準以上のコメディ・・・よく観るとかなりエッジが効いているのでお家鑑賞向きだよ~としか言いようがないので当初「しょくぎょうふじんの映画」のカテゴリーには入れようと思ってなかったのね。あと同時期に劇場公開されたSCOOP! 通常版DVDと比較して以前SNSで「グッドモーニングショーの方が描き方が斬新かも」なんて発言したのを少し考えが足りなかっかもしれないと急に思い出したからです。その時点では「メディアを舞台にするにしても出版よりTVのほうがより映画的だからかなあ」ぐらいに軽く感じてたのですが、そうゆう問題じゃなかったかも。監督は元々欽ちゃん番組の構成作家からキャリア出発させた方なので現在のTV界についての危機意識が撮らせたのかと思うくらい理想化された失われた楽園のようなTV業界が映画では描かれております。余計なこと言うとアマゾンでは未だにこの「グッドモーニングショー」の関連グッズが検索すると出現する、それにもまたまた驚愕。

志村未来、長澤まさみより「女子アナ」がゴージャスだった時代

 かつてはそんな時代があったんだよ。立川談志も「今時の女優よりずっといい」て絶賛されてた女子アナ黄金時代があってその当時絶賛されていた女子アナは見事フランスの御曹司の嫁になってデヴィ夫人にも「叶姉妹なんかよりファビュラス」て評されていた。最近でもその女TVに出ているけど(フランスではセレブ夫婦でも共稼ぎが当たり前で気安く出演し過ぎているせいか)視聴者はすっかり忘れている。長澤まさみ演じる中堅の局アナは分かっているのか何も分かってないのかさっぱり謎というか素っ頓狂な女で主人公であるワイドショーのキャスター澄田真吾(中井貴一)を冒頭翻弄させるのだけど、長澤まさみの雰囲気は現役の人気女子アナと比べてもナチュラル過ぎるような気がしちゃった(笑)。バブル時代を頂点とした時代の日本のおっさんが抱く「ランクの高い美女」というのはいつもどこかに様式美というものを要求していて、その要求に応えるのに様々な役をこなす女優たちでは荷が重いものになってきた。そんなオッサンの欲求不満を埋める存在だったのが当時のTV局所属の女子アナだったんだよ、で今でもその傾向は続いているから人気女優も女子アナを演ると印象がどことなくサッパリし過ぎる。・・・別に良かったんだけどねそれでも。ただ映画の中で繰り広げられているワイドショーの現場はもう地上波TV全盛期の佇まいそのままなのだよ、緻密にリアルに描かれてはいるけど、どこかこうゆうTVの状況は過去の出来事だったんじゃないかと私なんか片方で気にしてしまう。志村未来、長澤まさみの姿はそのギャップの象徴なのさ。

それでも緊迫している「籠城事件の現場」

 澄田は以前局で報道番組をしていた際、災害時の中継でヘマをして報道の一線からは外されたという過去のトラウマがある。家庭では大学生の息子が交際している彼女との間に子供が出来てしまって結婚したいって言い出すとか、どう言うわけか自分とつきあっていると思い込んでいる長澤まさみに言い寄られるとか、妻(吉田羊)は元女子アナで夫の仕事ぶりのチェックが厳しいとか出だしはスラップスティックな状況(とはいえ一個一個は普通にありそう)で始まる。そう、なんちゃってハリウッド映画って感じなのね。そんないつもけたたましいグッドモーニングショーのOA中に品川の大崎で立てこもり事件が発生しパン屋の客と一緒に立てこもった犯人の青年の西谷(濱田岳)は「グッドモーニングショーの澄田をここへ連れてこい」と要求するのさ。そして番組スタッフは何時ものように大騒ぎして澄田を現場へ行けと促すのだった。んで誰も澄田が犯した取材現場での失態の過去は覚えていないし気にもしてない。この辺の描写が徹底してドライ。一歩間違うと冒頭のけたたましさに慣れちゃって退屈にさえ感じるかもしれないけど、この後大崎に澄田が着いてからの立てこもりの現場の描写がちょっと特殊なのね。大昔の 狼たちの午後 [Blu-ray]のように一見ドキュメンタリーっぽくしているけどただ単にそれらしいBGMのないのっぺりした刑事ドラマのできそこない観ているような変な気分になる、それこそ踊る大捜査線 コンプリートDVD-BOX (初回限定生産)のような音楽が無い実際の事件現場って案外ノンビリしているの?て感じ。でも澄田にくっついてきた番組のカメラマンはヘンテコな小型カメラを以前から自前で開発していて澄田の重装備の防弾チョッキに嬉々としながらくっつていくとか片方でなんかシュールなエピソードが続いていくのだ。澄田の防弾装備姿はあまりにも厳重で刑事たちと比べると大げさなんだけど、今世界のTVキャスターが実際の戦場を取材する時に装着している「薄手のかっこいい防弾チョッキ」って本当は何も防弾には役に立たないらしい・・・という噂もよく聞くので(笑)、リアルな表現って極めるとどっか超現実(シュール)にしかならないってことなのかもしれない。

それにしても〇7時間テレビ局は何処へ向かうんだあああ・・・

 というわけで映画後半の澄田と西谷の丁々発止も面白いんで観てください。同時期に公開されたSCOOP! 豪華版Blu-ray/DVDコンボの時のリリー・フランキー氏だって悪いところがあるなんてちっとも思ってないですが、あちらはかなり以前から皆が待ちかねていた「様式美の世界」なのでぇ、好き好きですが個人的に驚きはしなかったってだけでーす。そして両者とも吉田羊嬢が似たようなポジションの役柄で主人公と対峙しているのでどっち鑑賞しても楽しめるのは保証します。そんなことよりも私は「グッド」については夫が面白そうだから借りたいと言い出すまで積極的に観る気にはなれず、劇場公開時も「千円で観られます」CPについイラッとしたものです。「SCOOP!」の方はきちんと大画面(名画座)で観たもんね~一応言っとくけど。私も含めて今多くの人がお台場にあるTV局に冷たいのよ・・・おかげで「グッド」におけるかつてのTV賛歌について色々過去の面白かった番組の数々をつい思い出しましたわ。入局して六年にもなるのに華が何もない女子アナがいるようなTV局じゃなかったのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しょくぎょうふじん⑤ 「ロボジー」の吉高由里子

 

現代の「天然」「不思議ちゃん」はぶりっ娘に非ず 

 去年大ヒットしたTVドラマの逃げるは恥だが役に立つ Blu-ray BOX、私実は殆ど観ていないのですが、とにかく不思議でしょうがなかったのは「え、新垣結衣演じるヒロインのことをぶりっ子と断ずる視聴者の感想は一切でてこないのかい?どうして?」・・イヤ私何もドラマ自体を否定するわけではなく、主人公はごく当たり前のことを男性に主張していてそしてドタバタしながらごく普通に主人公の主張や願いが叶えられていく展開のような印象だったもんですから(笑)。それに一喜一憂してはまっていたうちの妹のような独身女性たちの感覚の変遷に驚いたのでした。それは新垣結衣の演技が相手に対して常に下手に出ることがなかったということなのでしょう。おそらく彼女の演技の中には所謂「男を手の平で転がす」だの「何かしら媚びを売る」だのが無かったのだろうと思います。・・・んでコレは主に作り手よりも、新垣結衣世代の演技の質が変わってきたのが主な要因ではと私は考えています。例えばLove Letter [Blu-ray]中山美穂酒井美紀花とアリス [Blu-ray]鈴木杏蒼井優はおんなじ岩井俊二監督でヒロインたちの恋愛観等が大して変化していないようなのに両者比べると驚くほど各女優の表現方法が違っていて時代の変化を感じたもんです。・・・で、「ロボジー」の吉高由里子新垣結衣とおんなじ世代。そしてこの世代のもう一つの特徴として、漫画みたいな役柄を演じても浮かない、があります。だからこの映画の突飛な設定が成功したのでは?と。

なんだか澱んでいるオトコたち

 地方にあるそこそこの規模の木村電器では「他もやってるし、ウチでもできるだろう」くらいのノリで二足歩行のロボットの開発をすることになりました、でも開発期間はたったの三ヶ月。若手エンジニアの小林(濱田岳)太田(チャンカワイ)長井(川島潤哉)の3人はそれでもロボット博の1週間前には何とか「ニュー潮風」というロボットを作りあげるのですが、社内のお披露目の際にロボットが不慮の事故で暴走し大破してしまいます。困った3人はロボットの外装だけを作りあげ中に人間を入れてごまかすことにしました、そして選ばれたのが独居老人の鈴木重光(五十嵐信次郎)なの。ここまでのくだりが何故だかテンションが低く、それなのになぜだかクスクス笑いを誘うのが不思議でした。心の奥で「ええ?この爺さんミッキー・カーチスじゃね。クレジットにあったっけぇ」とつぶやきつつ(笑)。五十嵐真次郎という名前はミッキー・カーチス氏が戦時中日本の名前に憧れて自分でつけた名前だそうですよ。そして鈴木老人を始めやる気の無さそうな木村電器の人々に喝を入れる為に登場するヒロインが映画のテンポを徐々に変えていくのでした。それがロボット博で鈴木の着ぐるみロボットに魅了されちゃった女子大生の佐々木葉子(吉高由里子)なのだっ。私は最初観た時すごい驚きました。今でも監督の緻密な計算の勝利なのか吉高由里子の暴走がすごすぎたのかよく分からないくらいです。

不思議ちゃんではなくて就職氷河期を耐えている就活女子

 葉子はロボット博に来ていた女子大生としてまるでニュー潮風に恋したような素っ頓狂な感じで登場します。でも私彼女が出てきた時最初なんかいやーな気がしたんですね。ありがちな気がして。彼女のやってることも人気者になったニュー潮風が全国営業に出た先を自転車でニコニコしながら追っかけるとか、もうラノベとか深夜アニメに出てくる不思議系美少女そのもの。ただ生身の吉高由里子が演るとなんか佇まいがホラーなんですね。ずっこけて転んで顔に漫画みたいな黒いアザ作っても「やたら堂々としている」・・・噂には聞いていたけど、ここまでヤバい娘だとは思いませんでした。でも彼女は大学でロボット研究会に所属していて就職もロボットの事がやりたいから根は真剣なんです。あまりの熱心さにおびえた小林たちは葉子が木村電器に就職試験を受けに来ると面接で冷たく追い返してしまうしね。この映画いい意味で薄っぺらい人情喜劇といおうか(笑)小林たちや鈴木老人が実は心の奥底に深い悩みを抱えているとか、また人生で何か大切なことに気がつくとか、力はいった前向きな人は一切登場しないのでぇ、クライマックスどう収斂させていくのか笑いながらいささか不安にはなってくるのですが、元気が無いけどかつては日本の高度成長を築いた花形企業のなれの果ての姿や就職氷河期を必死に乗り越えようとする若い女性の姿や、何していいか分からないし若い人の邪魔をしないでひっそり暮らしたいけど構ってくれると嬉しい♡爺さんの姿が浮かび上がってくるのでした。だから茫洋としたミーキー・・・じゃなくて五十嵐真次郎を中心とした演技陣はみんな面白かったです。(チャン・カワイあんまり好きじゃなかったのですがこの映画で少し見直したのだった)

2011年当時の日本

 「ロボジー」は2012年のお正月映画として封切られました。前年には東日本大震災が起きて中東ではジャスミン革命チュニジアやエジプトで政権がひっくり返った年です。結構いろんな事があった年に北九州等でロケしてたってことですよね。2017年の今振り返って映画に登場する下関や北九州の風景や北九州大のキャンパスが映っているのを観るだけでもココから5年でいろんな事が変わっちゃったんだなって感慨になるかもしれない。映画の舞台は一見元気なくて寒々しい気もするけど、ピンポイントではまだまだ可能性あるかもみたいな明るい兆しが見えたりもする。んで、そんなに無理して急いで結果出さなくても良いよね~みんないっぱいいっぱいだし、てどこかすっとぼけて終わってた。そうそうこの時はまだ「地方に行けばまだまだ日本は凄い」で単に日本スゴイじゃなかった。「ロボジー」と今の日本スゴイ系コンテンツを比較すると、一地方企業、地方都市の抜け駆けは許さないぞおお~という猛烈に管理したいと監視したい気分が横溢していて、日本スゴイ系コンテンツには観るとぐったりしてしまいます。「ロボジー」に漂うゆるさが既に懐かしいものになっているのだっ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しょくぎょうふじん ④ 「プラダを着た悪魔」のアン・ハサウエィ他

 

 働く若い女の子にとって「ロール・モデル」って必要?

 「キャリアを目指す女性にとってのお手本となる先輩の数が圧倒的に少ない」とよく言われていますが、貴女は本当にそんなお手本となる先輩女性って必要ですか?・・・ぶっちゃけいらなくないですかホントは、いや必要ないですよ、ハッキリ言って。あんなにまでなっちゃお終いだわ~っていうサンプルばっかでしょう実際。そういえば若い男の仕事人同士でも「ロールモデルが必要」なんて普通にやってます?やってるよ、だってリスペクトする先輩はいくらでも存在するぜっと反論があるかもしれませんが。男同士の師弟関係なんぞを間近で観察していた経験からしても日本人に同性のロールモデルが必要って気がしないっつうのが実感です。で、このアン・ハサウェイ出世作ともいえるこの映画を観ても、やっぱり「反ロールモデル」映画やんけ・・・USでも事情はあんまり変わらないのねぇ、なんだあっ(笑)て思いましたわ。

公開十年以上たっても「古くならない」

 本当いうと最初は疑問だった。「すぐにヒロインたちの着てる服ダサくならないのかあ?」ってね。スポットCMに登場するコーディネートがまた雑誌からもろに飛び出してきたようなので一歩間違えたら「痛い」と思われる特殊なおしゃれピープルそのままなんだもんね。(映画公開当時は何よりも映画の衣装コーディネートをSex and the City エッセンシャルコレクションBOX セカンド・エディション [DVD]で有名になったパトリシア・フィールドがやったので、当人が来日して映画宣伝したのだ)だから観客は皆は映画の最初っからヒロインのアンドレア(アン・ハサウェイ)に強烈感情移入する人が多いと思う。アンドレアの格好は鬼編集長のミランダ(メリル・ストリープ)が指摘するとおりまるっきり学生、しかも学生が好むブランドのカタログそのまんまだから彼女世代としては十分標準的、ほんの少しださいかもしんないけどなにせフレッシュな美人なんだから何が不足だよ、てなもん。そんなアンドレアを半ば強引にミランダは一番下のアシスタントに起用して朝から晩まで鍛えまくるのだ。アンドレアはファッションには興味が無いというよりファッションの世界には「深い知性が無い」と思い込んでいる。そんな彼女にミランダが自分の雑誌で取り扱っているハイ・ファッションの、特に経済、人々の生活を動かす役割について超高速で解説するシーンは結構凄かった。メリル・ストリープがオスカーにノミネートされる時とそうでない時の区別がいまいち分からなかったけど、この映画でははっきりしてるわ(笑)。ハイ・ファッションと言ってもたいてい多国籍企業が所有してる。大衆(マス)向けブランドと一緒になっていて結局一部分にしか過ぎないからさ。台詞がブランド名がバナナリパブリックしか登場しなくて、アンドレアがGAP丸出しのセーター着ているのだけど、そこでアンドレア言わんとしていることを感じ取りましょう。そしたら貴方も少しはファッションに興味が持てるかも。

女性のキャリア形成についてのしんどさはファッションよりもさらに「難解」

 映画は後半になるとよくあるトレンディドラマみたいな展開になってる・・・という感想を持つ方もいるかもしれません。ベストセラーになった原作小説とはかなり内容が違っていることに不満を持っている人もいるみたい。とはいえ私のように映画しか観ていない者にとっちゃ男性主人公のビジネスもの映画と比べても、業界マニアック度がかなりのハイレベル(パリ出張時のアンドレアの真っ黒なアイテムのみのコーディネートの見せ方とか)なことに満足してしまうのでさほど気にならなかったです。んで原作の概要から察するに原作小説には「好きな事を仕事にするのは女性にとって相当にしんどいこと」というジレンマが底辺に流れているみたいですね。映画の脚色にあたってもまったく考慮されていないわけではないのですが、男性脚本家にはいまいち実感が伴わないものなのか男性差別発言ですまんねw)ミランダとアンドレアの関係の決着としてもあれで良いのか?て感じの結末エピソードで若干曖昧に感じられるものになっております。まああ・・・映画にまとめる脚本としては十分ではありましたけどね。

この映画でブレイクしたエミリー・プラント

 お仕事映画ではヒロインとともに必ず魅力的な同僚キャラの存在が欠かせないのですが、アンドレアの先輩アシスタントであるエミリー(エミリープラント)がこの映画ではやってくれています。役柄としては従来のオフィスもの比べてもむしろおとなしい方なのですがまさに好きな事に尽くして尽くして人生他のことを総て犠牲にして生きているタイプを好演していて、入院してアンドレアに見せるスッピンの丸顔が可愛い。まああ・・・女性が好きな事を仕事にすると「しんどい」の残酷さはこのエミリーの入院騒動程度のことじゃ済まないんだっ、てことも原作小説には書いてあるようですが、興味がある方は読んでみてね。(ついでにコメント送ってくれると参考になりますw)

 

 

しょくぎょうふじん ③ 「オデッセイ」のジェシカ・チャステイン

 

 うちのはずばんどと一緒に観た後軽く言い合いになりました。

 「女の上司でも先頭に立って部下のフォローに回らなきゃいけないのか」・・・と何故だか観に行った日の夕食中にいきなり愚痴りだしたので驚きました。ちょうどオデッセイの前にスター・ウォーズ/フォースの覚醒 (字幕版)を親子三人で観に行った時もハン・ソロがあんなことになってちょっと哀しくなっておりましたが、このジェシカ・チャスティンの船長っぷりが更に「なんか追い詰められた気分」にさせた様子。はずばんど「アメリカって何でもリーダーはあんな風にしなきゃいけないのかなあ」私「違うと思うよあのジェシカ・チャステインの行動には上司として女性の弱点を最初っから描いているんだってば」はずばんど「そんなことないよっアメリカだからだよ・・・」ってどんどんいじけ出すのには呆れました。彼はもう会社では結構エライんだそうで、今日も今日とて「講演会頼まれちゃった♡」と自慢したりするので嫌がらせに書いたこのブログ読ませようと思いますわっ、けっ!

火星の嵐が来たせいで「迷子」に

 植物学者で宇宙飛行士のマーク(マット・デイモン)は火星の有人探査のチームと一緒に火星を探査しておりました。そこへ急に巨大な砂嵐が起こります。皆でロケットに避難しようとしますが、マークは逃げる途中で折れた備品のアンテナにぶつかって砂嵐の中へと消えてしまいます。このシーン、よくよく見ると主人公マークの性格といおうか何となしにアッチふらふらコッチふらふら・・・といようなやや落ち着きなさそうな佇まいなのがもう一人だけ逃げ遅れそうな雰囲気を最初っから醸し出していたような気がしました。それと何時だって後先考えずに一人でマークを助けに行くルイス船長(ジェシカ・チャステイン)さんね、操縦士のマルティネス(マイケル・ペーニャ)が止めに入らなかったらひょっとしたら二人ともヤバかったかもしれないんだ・・・むしろそんな風にあの始まりのシーンを捉えてもいいんじゃないかなあ。これが後々「失敗は成功の母」ともいえるマークとルイス船長が起こした「奇蹟の生還」を予感させるのだっ。

火星で初めて「農夫」になった男だぜぃ

 有人探査船アレス3のクルーたちはマークが死んだと思って火星から立ち去り地球へと向かう軌道に入ってしまった。でも砂嵐の後、マークは生き残っていたんだよね。一人で残された資材を使ってサバイバルしようとする。具体的にはジャガイモ栽培にチャレンジするのさ。じゃがいもがわずかに食料として残されていたのと自分と乗組員のう〇こが残されていたので火星の土地を土壌改良しちゃったの♡。水分ももちろん自分のを再利用して、探査活動で使用していた太陽電池キッドみたいなのも利用して工夫したら結構な収穫になった・・・ここらへんのくだりがありきたりかもしれないけど前半一番わくわくするところだよね。それで次のミッションの宇宙船が来るまで生き延びようとしたんだけど、ある日また砂嵐が来てマークの造った畑が凡ておじゃんに。いよいよ大変になった彼は過去の火星探査の際に利用した通信機器を復活させNASAとの交信を可能にしたのだった。(1998年に業務を終了したけど実際にNASAが飛ばした無人探査機が火星にはあるのだよ)

ヒット映画「ゼロ・グラビティ」との比較

 ゼロ・グラビティ [Blu-ray]は公開時に私一人で観に行って、特に家族には何も映画のことについては話をした記憶もないのですが、うちの息子は何故だか「ゼロ・グラビティ」に凄いこだわりがあり「ゼロ・グラビティに出演していたサンドラ・ブロックさんは女性なのか?」としつこく聞いてきたのでずっと不思議でした。あと巨匠北野武御大が「ゼロ・グラビティなんて何故あんな内容の無い映画が評価されたのか」と本気で怒ってて思わず驚いたことがあります。なので「オデッセイ」の映画宣伝がネットでも始まるや息子に「今度の主人公は男のヒトだよ、一人で火星をサバイバルする話だから良かったね。」で映画観に行こうか~と誘った経緯があります。女性が一人宇宙空間で脱出劇を繰り広げるのにどうしてそれ程日本の男は強い抵抗感を覚えるか?・・・不思議でなりませんが、とにかく「ゼロ・グラビティ」後の宇宙飛行士の映画である「オデッセイ」では、いろんな場面で「英雄/ヒーロー」が入れ替わり登場しリーダーシップを発揮することにより取り残されたマークの救出計画が進行していくのでした。皆一人で何事もできるわけでも生きていくわけでもない、ということが「ゼロ・グラビティ」より明確に描かれていきます。

誰でも「リーダー」としてチームを引っ張る時がある。リーダーの個性を活かせ。

 マーク生存が発覚した地球のNASAでは当然大騒ぎになり、とにかく彼が4年間生き延びるための食糧を積んだ無人ロケットを飛ばそうということになりました。でも輸送ロケットの発射時に失敗。もうロケットが無くなったNASAは中国から借りて地球軌道まで飛ばすところまでは手当します。・・・それにしても火星まで行く船は中々用意できそうもないし大ピンチ。そんな時にマイペースで変わり者の研究者(リッチ・パーネル)が計算の結果地球へ帰還する途中のアレス3が火星に戻ってマークを助けるのが一番成功率高いのでは?と提案するのでした。いろいろすったもんだして結局はアレス3が中国のロケットを使って火星に向かうことになりますが、感心したのは二人のリーダーであるフライトディレクターのヘンダーソンショーン・ビーン)とルイス船長との対比の描き方。ヘンダーソンはマーク生存を知らないアレス3のクルーにわざと「NASAが隠してたマーク生存」を漏らしてしまい、「熱心なルイス船長が決断さえすれば上位下達によりクルー全体できっとマークを救出してくれる」と断言する。で、ルイス船長はと言うとクルー達とマーク救出の是非について徹底的に討論しクルーの考えが一つにまとまった上で動き出すのでした。クルーの意思が高レベルまで統一されていないと成功はしない、と彼女は思う性質のようです。ここに女性がリーダーシップを取る際の長所と短所がはっきり描かれているのだよ。

ルイスの「リーダーが何でも先頭に立ってやっちゃう」のは半分「病」

 女性が集団の上に立って指揮を取るのは難しい・・・というより、女性は進んでリーダーにはなりたがらない。米国の場合はリーダーシップを発揮しようとしない人間にはマトモな仕事を与えてくれないから女性も頑張って管理職になろうって出世しようとするけどね。だって人にモノを頼むのってしんどい作業なんだよ、こと女にとっては(細かいところが気になるからね)・・・言葉を換えると想像力の範囲が男よりも狭い傾向にあるかもしれない。つい何でも自分でやりたがるのは、部下を信用していないんじゃないのよ、自分が今事態を正しく把握しているかどうか「いつも不安だから」なの。自分が部下よりも不器用で下手くそってわかってても女性は自分一人でやりたいくらいだから。だから責任感の強い女性のリーダーの暴走を抑えるには冷静な操縦士のサポートと手順を頭に叩き込んでいても尚「テンパリ気味の女船長」の上を行く思いつきで直ぐ実行に移さないと気が済まないはみ出し野郎(マークのこと)の活躍が必要なんですね。マークが自分の防護服内の空気を利用して宇宙空間に飛び出すという捨て身のアイデアに対して「何故か緊張感が解けて大胆になる」女船長とクルー達の活躍と救出成功劇に皆興奮する・・・娯楽映画だから当然って言われりゃそれまでですが、スケールがこんなに大きくなくても日常で小さな「一致団結して成功」する体験は観客側だって少しは持っているからさ。そして出てくるのが男ばっかりの映画だと各登場人物の「決断のプロセス」の描写がこの映画ほど多様には表現できなかったかもしれないよ。

 

「この映画は現在よりも更に頻繁に多様な人材が宇宙空間で普通に仕事をしている近未来の設定である」・・・と仮定しながら観ていた、というかそうでも考えないと最初から観てらんないじゃんか~だったので(他人が言うほど)違和感は感じませんでしたがそれでもさすがに最後の最後「サンドラ・ブロックの姿」だけは、うっそ~って。しかもあんな美女の柳腰じゃ尚更。(笑)

 

 

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フォークロア(民俗学)の女 ④ 「神聖なる一族24人の娘たち」の娘さんたち


映画『神聖なる一族24人の娘たち』予告編

「運命の人」に出逢いたいなあああ♡

 この映画気前よく若い娘のハダカのお尻やらパンツやらおへそやらおっぱいやら登場しますし、ベッドシーンもありますが上品なキャラの娘が好きな男性にとってはあんまり楽しくないかもしれません。映画終わって劇場を出る時の二十代の男性の表情が「もの凄く疲れてた」んですね。あと年配の男性は淡々としていた・・・。とにかく娘たちの性の希求が「あっけらかん」とし過ぎるの(笑)。矢継ぎ早にショートストーリーの数々が繰り出されてくるので哀しい話、滑稽な話、不思議で寂しい話・・・があってバラエティに富んでいるんだけど、やっぱりニホンの今時の若い男どもからするとあまりにも「女性上位」の世界なのかな。舞台はロシア連邦の中央にある「マリ・エル共和国」の一地域、「マリ」ていうのがそこの古くからの言語で「夫、男」という意味なんだけどね。なんとなく映画観ていると男性の方がより辛そう・・・に感じなくもない。

滑稽なカップルや家族の話

 映画は雪深い中、春を告げるお祭りのエピソードから始まり春夏秋冬(もっとも晩秋から初冬にかけてくらいでまた冒頭近くのエピソードに戻る)を通じて語られていくのです。臨月近い主婦がDV夫を「もうアンタは必要ないねん」とばかりにブチ殺す話で幕を開け、お医者さんごっこならぬ「赤ちゃんごっこ」に興じる十代の男女(やり取り聞いてると強烈に情けない&どスケベです)に、死んだお父さんを遺族や友達が歓待する「まるでニホンの春のお彼岸やあ」の話、中年の美魔女が姪っ子でまだか細い少女の身体を「もっとエエおなごにならんと」って互いに素っ裸になって乾布摩擦する話など、昔の日本の田舎でもありそう~♡がいっぱいでむしろシニア女性の方が観て喜びそうです。おかげで映画の配給会社が主に女性向けにプロモーションしていたのにも納得。まあその間に自分の夫が森の精霊に横恋慕され呪いをかけられて、失意のあまり妻が命を絶つ等の不思議な話も混ざってきます。

恋の予感

 んで、おそらく最近の若いお兄ちゃんが観たら辛いのかなあ・・・と思うエピソードも。初夏の川遊びなのか若い女の子2,3人でハダカで緑の川辺を駆け上がっていく姿を遠くに見つめる青年に一人の少女が話しかけてくる、とかね。ここのシーンのハダカの女の子たちがまるでルノアールの絵画に出てくるような素晴らしさなんだけど、青年には話しかけてきた少女の方が意中の人だったみたい・・・。あとアラフォーぐらいの男が公民館のセミナーだか何かなのかずうっと「結婚できなかった初恋の女の子との初体験した時」を真面目に語っていて周囲も感動しながら聞いているとか。「彼女とは一緒になれへんかったけれど何も僕恨んだりせえへんです。ホンマあの時の彼女は優しくて、あんな真っ黒い石炭の下でヤッたのに彼女は細い体でぇ・・・」ってな調子。あと少女が祖父に「運命の相手が欲しい?ほなこのコイン投げて、投げた先にアンタの運命の男が見つかるわ」・・・少女が半信半疑でコインを遠くに投げると、茂みの中で密かに〇〇〇していた少年と出っくわす・・・この後の少女と少年のとのやり取りがこの映画の中ではもっとも普通の恋愛映画の芝居っぽくて、その後すぐにシーンが切り替わって祖父がゆりかごの赤ん坊に向かって「そんな風にして二人は知り合って二年後にこの子生まれましてん」って語るとかね、なんだか知らないけど今時の若い男が観ると「心が辛くなる」かな?少なくとも映画の中のぴちぴち&豊満な女の子や熟女たちのハダカがことさら輝いているだけに、エロい気分だけどより寂しい気分にも陥るかもね。

マリ共和国の「オトコはつらいよ」

 そしてまたこの映画のモテない男たちの扱いはひどいものだったりする。人生に悩んでいるもっさりした(ホント見た目もっさり)青年が占いが当たると評判の若い娘に相談に行った挙句、娘の「占いの秘儀」をうっかり目撃したもんだから後日娘の家族にいきなり殺されるとかさあ。でもそんなのは序の口だから(笑)。高慢ちきで自惚れの強い娘(歌は得意だけどそんなには可愛く無い)が「ウチは都会に出てオペラ歌手になるねん」と言い寄る青年を振り切って都会へ出ていくんだけど、青年は「あんな女魅力的な男に心を奪われてしまえ俺が歌手になるのなんか邪魔したる」と何故か背の高い死体をゾンビに使おうとする話なんかはもうひたすら青年がバカ・・・まあ青年の女の趣味の悪さこそが滑稽だと言いたいんだろうけどさ。

でもあんたら(娘さんたち)だってあんじょう気ぃつけなはれや

 ・・・というお話もあるのさ、結構見どころなので言っちゃうね。ある時(秋も深まった頃)ある村の独身女性達、それこそ二十歳前後からアラサ―近辺までのお姐さまたちが二十人ばかり集まって大人の女だけのパーティを計画している。そこへ10歳くらいの少女がやってきて「私もパーティー出たい」てごねる。お姐さまたち皆しぶるけど、少女に言いつけられたら困るので「アンタはじっとしてなあかんよ」と念を押されてパーティが始まるとお姐さまたちは「なんかトロッとしていて白くて妖しい液体」をこしらえていたのだっ!んでパーティーには何故か都会風のオサレなスーツ着た三人のイケメンというのが招待されていて、見物していた少女はびっくりして途中でパーティーを抜け出してしまう。少女は村の男たちが集まる居酒屋へ駈け込んで、

「大変やで、村のお姐さんたちがなんかよう知らん男たちに白いもんかけられてはるわあああ!」・・・と伝えるので若い男たちも「おのれ!どこぞのガキじゃ!わしらがしばいたるわわわ~」と殴り込みに行くというエピソードです(笑)。まあ私の説明なんかよりはるかにスペクタクル溢れるといおうか、まんがニホン昔ばなしならぬロシア昔ばなしって感じの面白さでありました。

マリ共和国はヨーロッパでも珍しい「自然崇拝で多神教ちっくの色合いが濃い」

 ・・・なんだそうです。地図で見る分にはモスクワに近い気がしますが、ロシア正教を布教していた間にソ連邦が誕生し、その間一切の宗教活動が弾圧された所為が土着の信仰が庶民の中から消えないまんま温存されてキリスト教が広まっていないんだと、確かに教会も宗教の指導者も映画には出てこない、ヨーロッパ的な「父権」の姿が見られない分女性たちが皆ダイナミックで、男を捕まえようとするエネルギーに満ちている世界なのかよ?・・・てつい感じてしまいます。でも皆さん男性たちに関して容姿端麗とか金持ちとか頭脳や才能についての理想がばか高いわけではない。「0点のヒト100点のヒト大嫌い、90点のヒト好きじゃない、65点のヒト好きや」なカンジで素朴にお相手選択しているだけなんですがね~それでも65点のヒトと擦れ違うことも近すぎて見えないこともあるてことかいな。慎重に取ってきた「きのこのサイズ」吟味した上で「うちはこれっくらいのサイズの男がええわ~」とにんまりイメトレして微笑む少女の姿は実に微笑ましいですけど。予告篇にも出てるよ。

 監督は気鋭の方で次回作はストルガツキ―兄弟原作にチャレンジするんだとか。おそらく(それこそタルコフスキーのような)ストイックな映画にはならなさそう。