法螺あぁぁーな女 ⑥ 「アイアムアヒーロー」の片瀬那奈他

 

イマ現在、日本映画におけるゾンビ映画の到達点のひとつ

 このDVDパッケージ観るかぎりは出演者の皆さんあまりゾンビには向いてない御顔立ちのようなんですが・・・有村架純ちゃんは頑張ってましたよ、〇ン〇。まあどう展開されるかは観てのお楽しみということですけど。怖い日本映画ホント苦手なのでゆっくり鑑賞しつつ、そしてとっととまとめて封印したいくらいですが、こういう映画が昨今ぽんぽん出てくるので困ります。ただし日本的な湿気を極力抑えたホラーではあります。後半に登場するアウトレットモールは韓国でロケをしたそうで、すげえなこんなセット作って外国のロケハン呼び込むのかあと感心してたら、実際に倒産したアウトレットモール跡だそうで、そっちの方にびっくり(笑)。日本じゃここまでダイナミックな廃墟は無さそうだしなあ、いかにも「ダサい施設」だからつぶれましたってトコしかないもんね。

二十一世紀になって新たな展開を始めたゾンビ映画ジャンル

 私が子供の頃の「ゾンビ物」と言えばジョージ・A・ロメロの「ゾンビ」の超怖い映画・・・という以外の印象しかなくあくまでも一部の熱狂的ホラー映画ファンが観るものというイメージがずっとありました。大昔「ゾンビ完全版」の予告編だけ見せられて(確か新宿武蔵野館だったような気がする)困った経験があります。それが2002年にダニー・ボイル監督の「28日後」というわりと普通のドラマっぽい映画が登場し、様相が変わってきました。日本だとそれ以前から映画ではなく「バイオハザード」というゲームソフトでゾンビ物に対する興味というか執着があったものの、なんだか日本映画でゾンビって恥ずかしい・・・という気持ちが先に立ったのかジャパニーズホラーが世界で注目されてもゾンビ映画はなかなか登場しなかったのですが、気が付いたらこんな映画が出てきたわけです。ちょうどトウキョウソナタ [DVD]の公開された翌年の2009年から「アイアムアヒーロー」の原作漫画の連載がスタートし同年に公開された題材はゾンビとは全く関係ないのに感染列島 スタンダード・エディション [DVD]なんていう映画も登場し鳥インフルエンザの感染者が「鳥眼になってんのがなんかゾンビみたい」な表現が登場してきて、その頃からCG上手く使えば日本でもゾンビ物できるんじゃん?な雰囲気がだんだん出来上がってきた気がします。映画製作の内でも外でも準備が揃い始めたところで、うまい具合に韓国の物件が出てきたのだろうか(笑)・・・でも韓国は日本より寒冷な土地だったからラッキーでしたよ。なにせゾンビのルックスってば「湿気」に弱いイメージあるじゃないですかあ、映画の設定では「富士山近くの涼しい土地だとぞきゅん菌は感染が広がらない」という噂が広まって主人公たちは富士山へ行くのですけれどね。

前半部分の「改定」が思わぬテンポを生んだかも

 さて映画の冒頭いわゆるZQN(ゾキュン)が大発生するまでのくだりが意外に長いことに原作漫画を知らない観客は戸惑うかもしれませんがそもそも原作ではコミックス一巻かけてゾキュン発生までを描いているのでこれでもかなりぶった切っているそうでうです。脚色にあたって(「逃げ恥」でも注目の野木亜希子氏が担当)かつては漫画雑誌の新人賞を取ったものの漫画家のアシスタントとして日々を消耗していく30代後半の主人公(大泉洋)の恋人であるてっこ(片瀬那奈)が同棲中に大げんかして罵倒しまくるというシーンで一巻目のドラマを凝縮させるという「省略」を施しているのがミソ。喧嘩別れしたてっこの電話に異変を感じて同棲しているアパートに戻ると、今まさに感染したてっこがゾキュン化していくのを玄関の新聞受けの窓から覗くというかなり古典的ですが怖ーいシーンが強烈なインパクトを与えます。もう大泉洋はそっから恐怖という衝動以外の感情に囚われる余裕も一切なくなり、ゾキュンどもが追いかけてくる街を駆け回り、女子高生の比呂美(有村架純)とともに富士山麓まで一直線に進んでいきます。映画観た後「やっぱTV局が絡んでいない映画だから思いっきりやれたのだ」という賛辞を目にしましたが、逃亡の為タクシーに乗り込み車内のTVをチェックして「トウキョウCHにしてください!」というエピソードが個人的におかしかったです。なんでも「そこのCHが通常放送に固執している間は日本は平和なのだ」という主人公独特の価値基準があり、そこのCHのアニメが中断してニュースに切り替わる際に事態の深刻さに軽く失望するというヤツでした。「アイアムアヒーロー」が地上波で放送されるのは難しいでしょうがもし可能ならばぜひともテレ東でお願いしたいものです。また「この世界の片隅の」と同様長尺をコントロールするのに主人公の動線に従って構成されていることにも注目しましょう。

告白る(コクル)男の矜持とはっ・・・

 んでもって富士山にあるアウトレットモールへ比呂美とともに辿り着き、そこで後半の展開に移っていくのです。二人はモールに立てこもる避難民の集団メンバーの藪(長澤まさみ)と知り合い仲良くなっていきますがあ、そこは食料は徐々に無くなりつつあり、ゾキュンがすぐそこまで追ってきているという状態。大泉洋は漫画の取材のためにライフルの資格を取得していて、後生大事に持ってきたのですが逃げ回るばかりで全く使用していないとか、ありがちですが観客の興味を効果的に引っ張ってくれます。ただし「ヒーロー、ヒーローになる時ぃ♪あ、あ、それは今~♪」なカンジで全篇アクションとバイオレンス描写で突っ走るクライマックスを迎えるにも関わらず凡てが終わった後にスカッとしたマッチョ感がほとんど無いのですよ、なんか寂しい。ゾンビ映画の作り手はそもそもどこかヒューマニズムを表現したいものだ、というのがゾンビ物の評論では常に云われていますし原作でもその辺を狙っているのなら問題はないのですけど。要因としては肝心のヒーローに覚醒した大泉洋よりも一緒に戦う、何かを待っているかのように生き延びる徳井優や予想に反して徹底的にバカ一直線で最後を迎える岡田義徳といった面々にむしろ「普通の人間がヒーローになる瞬間」を感じてしまうのが大きいということかもしれませんが。更に言うと片瀬那奈から有村架純長澤まさみとまるでヒロインがリレーしていくような展開を前半の片瀬那奈の印象が強過ぎるために、映画版ではより思いっきり「暴露」しちゃってるからではないかと(笑)・・・少し思っちゃったよゴメン。野木亜希子脚本だと他にそれが図書館戦争 プレミアムBOX [Blu-ray]岡田准一であろうと重版出来! Blu-ray BOX荒川良々でも滝藤賢一にしても、(あと忘れてましたが「逃げ恥」の星野源もねっ)各々のドラマが「〇〇への想いをいかに告白る」かについての葛藤を描くのが結局一番の見どころになっちゃうらしいです。だから映画ラストには大泉洋何かを告白る必要が生じるのでお楽しみにして下さい。ただし若干「よごれたひでお」感はあるやもしれません。

 

民俗学(フォークロア)の女 ② 「この世界の片隅に」のすず(本名は能年玲奈さん)

 

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 公開初日に観たぜ!!だから書くぜ!

 「君の名は」。はて、どんなカテゴリーの名前にしようかなあ?と考えて何故か「フォークロア」という単語が浮かんだのと、日を置かず「神聖なる一族24人の娘たち」とい露映画が実に好対照でなお且つ可笑しかったのでそれとまとめればいいかなあ・・・と思ってた矢先にこの映画観ました。ネットで大評判なのは良いのですが、絶賛、感動、だけど物足りない・・・等どんどん映画評がぐちゃぐちゃしてまいりまして、おい!何でもかんでも一本の映画で済まそうとするなあ~(怒)て読んでるこちらの方が滅入ってくるくらいでやんなっちゃった。(まあSNSのタイムラインなんかしょっちゅう観なきゃいいだけですが)なんで私しゃこの際よくできた「民話の味わい」だと思って観ろや! とあえて提言させていただきたい。(まあプロの民俗学者さんがこの映画をよくできた妖怪映画と評するコラムもネットでは既に載っているようですが)のんちゃん(て云わなきゃいけないので)の語りがまた独特で「その年齢でポスト市原悦子に迫るのかい?」ぐらいにはハマっています。

もうひとつの「ドラマ」は広島と呉の街

 映画をご覧になった方々は皆オンナの人生とか、戦中の人びとを描いた群像劇・・・とかいろいろ「まとめて」おっしゃいます。ただ主人公すずの中にどうしても存在する漠然とした「罪の意識」というやつが原作漫画の段階で強く底に流れていると推測できる為、あまりにも人間関係に重きを置いて映画の構成を考えるのは無理があるような気がしてなりません。すずは広島市内の海辺の集落に生まれ育ち、何故か呉の海軍基地に勤める海軍の技術士官の青年に見初められて18でお嫁に行く。嫁ぎ先は家の段々畑から呉の湾内を一望できる山の上にある村で、なんだか解からないけど生活に慣れようと必死に頑張るのでした。映画冒頭はすずの少女時代のエピソードから「昔からぼーっとしたコで・・・」ていうヒロインのモノローグで始まります。この出だしが私なんかは非常に秀逸で、あとから続く物語も非常に入って行きやすかったのですが、とにかく時代考証全般やミニタリーマニアといったリアリティ重視の観客からすると掘り下げ不足と感じるヒトもいるのでしょうか。少女時代に遭遇する「すずが出会う不思議な子供たち」が既にすずの人生における光と影の存在なんだと納得して私なんか済んじゃうけどね。

呉の街を生きていく「すずの動線」にこそ注目しよう

 すごいのは実際の呉市の出身で他県に出たシニアの方々が「映画を観て自分の故郷に始めて誇りが持てるようになった」だの「私は昔呉に住んでいてホントにあの映画の通りだった」だのの発言がでてきたというエピソードです。それだけ映画ではヨソから嫁いできたすずの目線から呉市のパノラマ」が形成されているからでしょう。映画全篇を通してすずが婚家から見下ろす呉の港や、呉の街をさまよい歩き遊女のリンと出会う花街や闇の市などを観客は一緒に体験することになります。まあおそらくそう仮定した方が、原作から何を省略したかの議論が多少すっきりはするでしょうし(笑)。一部の原作ファンは遊郭のエピソードを主に削ったのに不満の声もあるようですが、そこは監督の「戦略勝ち」でもあるので仕方がありません。(ちなみに映画だけ観る私は当初違和感を覚えなかった)それだけキャラクターの「アクション」は話を転がすのに重要だということ、映像だからね。観客は呉の街を縦横するすずの動線によって戦時中の風俗やキャラクターたちの心理も追いかけていく構成なので、遊郭はあくまも「寄り道のエアスポット」のように描かれており結果として原作からは最も改変されている部分なのかもしれません。でも当時の年若い主婦が同い年だからって遊女たちと接点を持つというのもなかなか有り得ないことでして、原作漫画にエピソードを入れ込むのも実はわりと難儀したのかな・・・ぐらいに想像してみた方が良いかも。まあ私個人としては、すずの夫周作が「無理して遠い処に嫁いできて」とかやたらに発言する(もっとも原作からそうなのかもしれませんが)のに少しだけしらけましてぇ(笑)、この時代一旦嫁いでも厭なら実家帰るの普通だってもっとはっきり表現するシーンがあればいいのにかったるいいなあぁぁぁ・・・と感じるところは若干ありましたあ。(映画ではすずと周作夫婦のエピソードが追加されてるらしいのを聞き及んだこともあり)男目線だとそんなことばっか気になるのかね。

公開前から抱いていた漠然とした不安が最後の「スタッフロール」でやっと解消♡

 正直映画予告編から「ほろっ」とはきていたものの、なんとなく鑑賞をためらう気持ちがあり、そしてまた公開直前のタイミングでネット上では「アニメーター人員確保できずに秋放送の数本アニメシリーズ製作断念」などの話題が持ちきりなるとか・・・もう「この世界の片隅に」を褒めれば褒める程悲しくて悲しくてとてもやりきれない気持ちにしかならなかったらどうしようぅ・・・という不安がずーっと映画を観ている最中も消えなかったのでした。ぶっちゃけ「不安」ゆえに勢いで息子を誘い、近所のシネコンへ行ったらたまたま公開初日だったというわけです。劇場内は中学生の息子を除きほぼシニア層ばかりで、「君の名」では感情移入の激しさからグニャグニャのへたれだったのに意外とピンシャンしていて(しかし映画鑑賞後は緊張がほどけてぐったりしていた)とにかくほっと一息つきました。スタッフロールではアニメーターの数がぐっと減っているのを確認し(かつてのジブリアニメと比べたら四文の一もいなさそう)いよいよ寂しくなるかと思った瞬間、例のクラウドファンディングの参加者名がダダーと表示が始まりましてかなり嬉しくなりました。今でも日本のアニメのスタッフに外国人名が出てくると少し気分を害する手合いがいるかどうかは解かりませんがクラウドファンディングに外国人名を見つけるとこっちまで勇気が湧いてきます。そういや世間ではもう21世紀なわけだし、蓄積してきたノウハウを結集して作り上げた〇〇のほにゃらら撮影所最後の傑作〇代劇映画!・・・に似た文脈で「この世界の片隅に」を後々紹介しなくても良いのかもしれない、少しだけ安心した瞬間でした。

 

   

フォークロア(民俗学)の女 ① 「君の名は」の宮水三葉(上白石萌音)

 

 

 想像していたのと違ってたからさ

 春先から「シン・ゴジラ」とコミで予告編がバンバン流れていて、それで公開前から新海誠の名をよく知らないヤングの間でも期待が高まったことが現在の大ヒットをけん引する理由のひとつにはなったと思う。とにかくうちの息子ときたら中二病まっさかりのお年頃だからさ連れてけって煩かったのよ・・・で感想としては恋愛ものとしてよりもディザスターもしくはスクラップ&ビルド映画としての面白さの方により感心した次第です。新海誠という名前は知る人ぞ知るという印象だったのですが、一見してかなりダイレクトに自伝的(と言っても心理的な意味ですが)要素が盛り込まれているのではっ、という気がしてならず、監督郷里の長野でも話題で持ちきりとか舞台になった岐阜のあたりでにわかに観光客が増すなどと言った話題を目にする度に「この監督さん年末に実家に帰省する時いろいろ困ったりしないといいけど」・・・ついお節介な心配をしたくなるような内容でありましたのさ。

ねつ造される記憶

 今や観てない人でも知っている「ワタシタチイレカワッテイル~~」な設定を「互いに相手の経験を勝手にねつ造している」と言い換えてみてもいいかもしれません。主人公二人である立花瀧神木隆之介)と宮水三葉上白石萌音)が前半互いに入れ替わるのですが、東京にいる瀧よりも山深い岐阜の田舎町で暮らす三葉の生活の方が圧倒的なリアリティで迫ってくるのを感じる観客の反応は日本だけではなくこれから公開される韓国や英国の観客にも同様に持たされるのではないかと予想されます。それだけ三葉を取り巻く周囲の設定は綿密に計算されているのがポイントと言えましょう。三葉は代々続く神社の家の娘で古くから伝わる地元の行事として妹とともに神楽の舞なんか踊ってみせたりするのですが、もうモロ近代神楽(明治以降に作られてる)の「浦安の舞」そのものですからねあんなの。他にも「口かみ酒」なんて小道具も登場して一部ネットでブーイングが出たりしましたけど、おそらく確信犯的に強調してます。それだけ三葉の日常そのものが様々な「ねつ造」に満ち溢れているのですよ。もはや合理性や有効性を失っているのにも関わらず生活者たちが拘るルーティーンを風刺するのにもデフォルメ表現に長けたアニメこそ有効ということでしょうか。あちら(US)ではズートピア MovieNEX [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray]なんてのもありましたがこちら(JPN)はこちらでいろいろこんがらがった事情があるものなのさあ。

継承されるもの要らないもの

 また宮水神社ときたら、一家の秘伝としての「組紐」なんて技術を持っておりそれを絶やさず後世に残さなきゃいけないってんで三葉の姉妹は祖母ちゃん(市原悦子)から日々薫陶を受け、文句も言わずに学んでいる。お母さんは亡くなっていてお父さんは地元糸寄の町長なのに家は出てってしまったという具合。「このままゆっくりと没落していきそうな母系家族」であるのだよ。糸寄町に伝わる古くからの風習にはきちんと意味があり守らなければならないのだけどそれを伝える古文書がある日火事ですべて焼失してしまったので口伝にして代々引き継がれるということになり、おかげで祖母ちゃんはそりゃもう煩い。祖母ちゃんの話や(唐突なまでに深刻な感触を受ける)三葉の家族の過去のエピソードが案外重要になっているのもぜひ見逃さないでね。三葉の父がいきなりブチ切れて反逆するくだりが「はあぁぁぁ・・?」という感じになる方(特に若い女性)が多いかもしれませんが、実は「突然マスオさんがぐれて暴れて家族崩壊」ってケースが地方の家ではよく聞く話なんですよお、意外と。三葉の境遇の閉塞感はすぐに共有できても三葉父の抱える葛藤にはとんと想像がつきそうにもないですが、瀧がむさぼるように読む「糸寄町の事件」に関する記事の中に三葉の父のプロフィールが紹介されているのですけど「民俗学者から政治家に転身」って記述があってなんかエライ怖かったですぅ。地方って郷土史家とか多いでしょう?ホント多いんですよ土地の歴史とか風習について突っ込んで研究するのが趣味の人・・・そうしてその手の探究についてどっぷりハマるタイプって、それだけ愛憎の感情に引き裂かれているタイプってことなので。こと「伝承」だの「歴史や伝統」について土地の人間が何かしらねつ造を施すことについての怒りが凄いんだわって思いました。だから三葉の髪が宮水家に伝わる組紐で結ばれているのはこの映画ではとても大事なことを象徴するアイテムだろうと思うのですが、それがまた一部で「あんな布ヒモで女子高生が髪を結うなんてリアリティゼロじゃあ!嘘っぽいもいいとこ」と騒がれたのがなんとも皮肉。

「擦れ違う二人」がどうして四谷駅なのか?と感動のラストの場所のモデルはどこだよ

 現在(2016年11月)も劇場公開中につき、これでもネタバレせぬように精一杯頑張って書いてますが(笑)、三葉と瀧の入れ替わりがあることで急に終わりを告げ、今までどちらかと言えば脇に置かれていた瀧の方の内面が映画後半から大きく変貌を遂げていきます。そうして三葉と瀧の時空を超えた苦闘と冒険が展開されるのですね。アニメって長時間観るのが結構つらいのは「ボーっとしていると目の前で何が起きているのか理解できなくなる」ぐらいユーザーに集中力を要求するからなんです、だってデフォルメ(絵)しか存在しないわけですから。なので二人の苦闘はまるで針に糸を通すようなしんどさを感じる。もうそのくだりが終わった後にぐったりしてしまって、ラスト近くの滝が抱えてる喪失感を表現するシーンはもうどうでもいいやあ~ってちょっと思うぐらい。瀧は夢の中で出会う三葉より現実のバイトで出会う年上の美人奥寺ミキ長澤まさみ)に恋をしないの何故なんだそっちでいいじゃんか、といぶかる意見のオッサンもいたりしますので、よほど後半部分は観ていてつらかったのではという気がしてくるね。

 そんでも元気いっぱいのヤングは最後の最後にマジでほっとするし、大人になって成長した瀧の姿に共感するんだね。ただどうしてあそこまで成人した瀧は暗くなって、あそこまでお互い感涙の涙まで流すのかは不思議だったの、御免ねオバサンだから(笑)あとJR四谷駅が詳細に登場するのですが、そうか四谷ってそんなにドラマチックに似合う駅だったのかあ・・・とは感心しました。かの名曲竹内まりやの「駅」の歌詞の情景に当てはまりそうっちゃそうかも。で、感動のラストの場面は千駄ヶ谷だそうで(改めて見直したら二人とも総武線に乗っていて一緒に降りた駅ということになっているらしい)私劇場公開時では「四谷の近くでそんなに坂の多いトコあったけか?」が疑問でしたが総武/中央線て長大なので人によってイメージが大幅に違うから解る人にはすぐ解るのかも。

 ところで余計な話ですが今「千駄ヶ谷」は都内の人気居住スポットとしてはどんなポジションなんでしょう。(笑)いろんな交通アクセスが増えたせいなんでしょうか、バブル時よりは魅力が失せたのか意外と賃貸お安かった・・・新築物件が少ないからかしらん。

 

 

BL版 ドキュメント野郎!! ⑥ 「FAKE」

 

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とにかく2016年度最高に盛り上がったドキュメント映画

 現在振り返ると2016年の日本ではドキュメント映画のブームが一つの頂点を迎えていたような気がしてます。その中でも超ヒットだった映画。公開当時SNS上ではうるさ型の人々がこぞってこの映画を取り上げていて、シン・ゴジラ Blu-ray2枚組この世界の片隅に [Blu-ray]あたりが話題の中心に取って代わるまで、「FAKE」と佐村河内さんの主に「バッシング」で持ちきりでした(笑)。ヒットの一番の理由は結局何だったんだろう?と考えると、それぞれご意見もあるでしょうが私なんかは非常に「TV」に対する強い興味が市井の人々の中にはまだまだ有るからなのではと感じています。確かこの年学生からシニアまでと結構幅広い観客を集めていたのはこの映画だけだったよ。

一体佐村河内氏の一番「何」が凄いのかあっ!!

 私だったらやっぱり佐村河内さんに一言「いやあ貴男のお住まいのマンションの立地が凄いっすよ!音楽家がそんなトコに居を構えるなんて正気の沙汰じゃないわあ!!」て言葉をかけてみたいです(笑)。オープニングも森監督が佐村河内氏のマンションに訪問するところから始まるのですが、マンションはガチ線路沿いにあり、窓を閉め切っているリビングで話を聞いている最中なのに電車音がガンガン聞こえてくる・・・どうしてこの監督「ここのマンション買った理由は?」て聴かないんだろう?まず最初にその点突っ込めよ、て観ていると思うんですけどねぇ。まあ「ドキュメンタリーとしては最後にやらせっぽい仕掛けがあるのかあ」等でも話題だったんですが、今思うとこのマンションのくだりからもうなんだかうさん臭かったでした、面白いってことですけどね。

どうしてこれほどまでに「役者」揃いなんだろう、揃い過ぎだよっ

 佐村河内守自身も面白い人ではあるんですが、なにせ少し前までTVに出ずっぱりで騒動が過熱したこともあったので既知のことが多い。聴覚の障害について執拗なまでに拘るとかね。そりゃ音楽創作の根幹に関わることだから当然だといえるのだけれど、ゴーストライター騒動で釈明会見を開いた時にも自分がしでかした事よりも自分に聴覚の障害があることの医療診断がきちんとされた点についてだけ主張していて、それを報道陣がスルーしたことのみについて怒ってるんだもん、やっぱそれだけ観ていても嫌なヤツだとは皆思うよ(笑)。むしろ未知の面白さとしては夫婦ともにケーキが大好きだとかね♡、佐村河内さん家はお客が来ると奥さんいつもケーキとコーヒーを出すの。近所にお気に入りのケーキ屋さんがあるみたい。森監督もそうだし男の観客は皆佐村河内夫人に凄い興味があるようなんですけど、いそいそとケーキを客に振る舞う奥様の姿には「お気楽」の三文字しか私なんかは浮かばない。年末TVの特番出演の依頼に某TV局の幹部が訪問しに来たときも、アメリカのインタビュアーたちが佐村河内家にやって来た時にも、もちろん森監督にもケーキ・・・・後で絶対食べてるよねケーキ、来客者森監督以外は殆ど手をつけてないもん(笑)豆乳より絶対ケーキの方が好きだと思うよ~佐村河内家ではほぼリビングでの場面ばっかだから、ケーキや料理がいっぱい出てくる懐かしのホームドラマのようなだったよ。佐村河内さんのご両親が正月にやってきてインタビューしてたけれど、お父さん実直そうなんで息子の佐村河内さんも本当は元々かなりナイーブで不器用な人間かと思ったくらい。確かに佐村河内さんの難聴の障害は内容が複雑で思春期にかけて屈折するのも無理なさそうだし、何だかんだ言っても被爆二世であることは確かだよ。そら「障害」て云われたら通常のケースよりかは怖いさ彼らにしてみりゃ、だってば。んで佐村河内さんを取り巻く奥さん、お父さんお母さん、夫婦で会いに行く聴覚障害についての専門家のお医者さんとか・・・正直皆さん「実直そうでしかも個性が濃い」人々、下手な役者よりも存在感があり過ぎる、下手すると佐村河内守自身より「役者」。でもあんまり映画に登場しないけど「FAKE」にはもっとすごい影の主役とでもいうべき人物がいるよね、それはモチロンあの「新垣隆」よ!

BLなのかそれとも「実はかなりマッチョなマウンティング」なのか、でもでもBL?

 この映画って、(結果的にそうなったのかもしれないのですが)佐村河内さんの人となりを知る上で強い興味を引かれる部分が、どうしても新垣さんとのからみにおいてのエピソードに集中しているのですよ。それ以外では佐村河内さんて結構印象が薄い人なの。それだからこそ長年新垣さんと一緒の大作曲家ごっこが可能だったのかもしれないよ。年末の特番を佐村河内さんが断ると某TV局はなんと新垣さんを年末のバラエティー番組に引っ張ってきた。自分が出演する際には硬派な番組にするとTVのプロデューサーは言ってたのに、新垣さんたらひたすらおちゃらけ路線で「壁ドン」まで披露する。そしてその番組にじっと見入る佐村河内氏。観客が驚くのは佐村河内さんがひたすら悔しそうに見えること。むしろ「良かった自分の方が壁ドンやらされてたかも・・・」ぐらいのこと一瞬でも思い浮かばないのか?もしそうならば、彼はTVの中の新垣氏の意思がはっきり正確に汲み取れたんだよ。新垣さんは決して「お人よし過ぎる」性格だから断れなくで壁ドンなんかしたんじゃないよね、自ら「これぐらいのことは俺にもできる」を示したいから喜んでTVに進出したのさ。そもそも新垣さんは「ゴーストライター告白」の時から佐村河内さんとの共犯関係をあえて強調して発言していた。おそらく彼自身は佐村河内あっての自分・・・というものを受け入れたくなかったから長らく報酬をもらって佐村河内さんの依頼を受けてきたんだよね。それをガマンできなくなったのも自分だけの領域(テリトリー)を侵される事態が発生したから激怒しただけだよ。プロの音楽指導者にとって佐村河内氏のヴァイオリン少女との係わり方が許せなかったって最初っから主張してたしね。新垣さんてクラシック音楽の素人にはおよそ理解不能なプロセスを通して強烈なプライドの高さを周囲に見せつける人物だったんだわさ。(笑)

佐村河内守による、これぞ佐村河内守たる真骨頂・・・な佐村河内守

 アメリカの報道メディアの取材を受けた佐村河内さんに森監督がひとつの提案をしてそっからの流れが終盤へと至る「映画観た人は秘密にしてほしいラスト15分」になるようですが、私はどっからどこまでがそれに当たるのかイマイチ解かりませんでした、スイマセン。なのでラスト近くに佐村河内さんと森監督が佐村河内さんのマンションのベランダで煙草休憩をするシーンにのみ言及したいと思います。夕刻のそろそろ帰宅ラッシュの電車がひっきりなしに大音響で通行するなかリラックスして煙草をくゆらす佐村河内守の姿こそ「まさに怪物」、を見出すのは私だけでしょうか?そんでマンションのベランダで一服するシーンは最初と最後に二回でてくるのです。音楽に関してはほぼ素人に毛の生えた、気の利いた中高生レベルのデモテープを持ってくるだけの男が、おそらく絶対音感を持つであろう現代音楽の最前線にいる人間を怯えさせることができるとしたら、それはおそらくはこのような瞬間に遭遇したからではないでしょうか。新垣隆のような男だと一番恐れるだろうなあという佐村河内守の姿がそこにはありました。

 

  

 

BL版 ドキュメント野郎!! ⑤ 「フェイティング・アリ」

 

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 モハメッド・アリの映画、たくさんアリ過ぎぃ・・・

 検索してみたところアマゾンでソフト販売されているタイトルだけでも45本(VHS含めて)ありましたよ、まさに「Mr.Boxing」てやつかい。↑の映画はバンクーバー映画祭で観客賞を取っただけあってあんまりボクシングやモハメド・アリに詳しくなくても解かりやすいし、かつて故梶原一騎先生のお言葉「ボクシングというものは試合前に勝負がほぼ決まっている」の意味が、こうゆうことだったのね・・・と実感できて、尚かつわくわくます。監督のピート・マコーマックはモハメド・アリの大ファンらしく対アントニオ猪木戦についてもリアルタイムでチェックを入れていて、全盛期を過ぎたアリの試合っぷりに心を痛めていたんだとか・・・へぇー私なんかアリについちゃ、「キンシャサ」とか「オリンピックで金メダル取った」とか主に当時のアメリカの公民権運動とかベトナム戦争の兵役拒否の話題にからんだ断片的なことしか知らなかったです。なんでこの映画に登場するアリと対戦したライバルのボクサーの名前でぼんや覚えてるのジョージ・フォアマンジョー・フレージャーだけだったわ。

コンセプトの勝利、そして10人のボクサーたち

 この映画では製作当時、既にパ―キンソン病を患ってはいても存命だったアリ自身のインタビューは無く、話をしているのは10人のボクサーの証言ジョージ・フォアマンジョー・フレージャー、ラリー・ホームズ、レオン・スピングス、ジョージ・シュパロ、ケン・ノートン、ヘンリー・クーパー、ロン・ライル、アーニー・シェーパーズ、アーニー・デレルで構成されています。そしてこの10人、それぞれ個性豊かなのですがやっぱその中でもボクシング強い男ほど賢いんだわ、何故か米国のチャンピオンは賢い人間がより強く、日本のチャンピオンは「無邪気で素直な性格の人間」がより強いのよね・・・一体何故?(笑)。特にキンシャサ以前の初期のアリとタイトル争いしてたジョー・フレジャーにジョージ・シュパロ、ヘンリー・クーパー卿あたりは記憶力も素晴らしいし、解説も的確・・・この頃までののボクサーは主に守備の技術力で勝負してたのかしらん?て思うくらいよ。実際彼らの証言の中には「アリは顎が他の人間よりも強靭で撃たれ強かった」て内容のコメントがあるもんね。もっとも金メダル後にプロデビューした当初はともかく全盛期のタイトル防衛線ではわざと不利な状況を演出して相手を油断させたり疲れさせたりしてたみたい。10人の証言者の中には「アリと試合できただけで感謝している」という人間もいていろいろです。生涯かけてずーっとアリをライバル視し続けているのはなんたってあのジョージ・フォアマンくらいしかいない。クーパー卿なんかキンシャサ戦の時のフォアマンについて辛辣にコメントしてたもん。きっと相当フォアマン悔しかったんだ、て知りました。二十世紀のボクシング&格闘技ファンにはおなじみのエピソードなのかもしれませんが。

アリと戦ったボクサーにも「歴史と人生」あり過ぎぃ

 捕まってムショ暮らしから筋トレ後、ボクシングに目覚めて30代ごろから頭角を現し始めたとか、離婚して息子と二人暮らしになってからアリの対戦相手に選ばれて助かったとか、アリに勝った新進チャンピオンがタイトル獲得後に、コカイン所持で捕まるとか・・・まあ彼らにもいろいろあります。ジョージ・フォアマンキンシャサ戦後に宣教師になったのは世間では本当に有名な話のようで、当然のごとくさらっと語られるのが実にけったいな印象をうけました。(笑)最初は夫と観ていたのでいろいろそばで教えてもらってたのですが、彼はアリの公民権運動や徴兵拒否の話題後は興味を徐々に失ったようで途中から一人で観ることになったのさ。まさか夫も私もアリがここまで余裕しゃくしゃくで王座に長年君臨してきた人だとは想ってなかったからかも。最近のアスリートだとボルトのような男もいるけど、この手の人間は日本人にはほぼ存在しないので想像がつかない処もあるんだよね。それでも映画のラスト近く80年前後のアリの姿はボクサーたちの証言からも「ボロボロ」のカンジがうかがえて哀しくはなってきますね。満身創痍なのにお金に引かれてリングに無様な姿を晒しているのが写真の再現でもはっきり判る。常にぎりぎりの日本人アスリートにはあんまり無いかも、そこだけはボクシングでモハメド・アリみたいにならなくてもイイやって皆思うかもね。

 しかしそれでもアリと戦った男たちの証言として猪木のも聴きたいと考える日本の格闘技ファンは多いんでせうね。【Amazon.co.jp限定】モハメド・アリ/Muhammad Ali Life of a Legend & 四角いジャングル 格闘技世界一(2枚組仕様) [DVD]を始めいろいろ揃ってますのでそっちでご確認を。「フェイティング・アリ」の監督は猪木戦をまったく認めていないんだそうですが、あれはあれで究極の闘いだったというお方もおられるようなのでいっそのこと試合の解説にチャレンジされてはいかがっ。

 

 

BL版 ドキュメント野郎!! ④ 「ボウリング・フォー・コロンバイン」

 

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 今更この映画

 すいませーん。やっぱりそんなにドキュメンタリー観ていないもんでぇ。(-_-;)とにかくここ2、3年のドキュメンタリー映画人気の高まりは強烈で公開本数は増えるばかりつい先月もエイミー・ワインハウスパキスタンの伝統音楽団がNYジャズ公演を果たすやつとか後もちろんあの現代のベートーベン様のその後を追った大ヒット映画など観てきたんですけど、追いつかない・・・という感じ。作家性が強いあまりもはやドキュメントの対象となるキャラクターも凄いけど、スコセッシ監督がローリングストーンズを追っかけるとかビートルズのドキュメンタリーをロン・ハワードが監督するとかニュースになってもはや訳が分かんなくなってきました。まあその最初のきっかけが↑の映画とマイケル・ムーア監督サマってことですかね。一時期はマイケル・ムーア=近藤春奈=角野卓造・・・など日本のTV界では果てしなくお笑いネタにされてしまった事もありましたが。

今となっては懐かしいばかり

 タイトルも「コロンバイン事件の理由となったボウリング」てことで、1999年アメリコロラド州にある公立のコロンバイン高校で起きた「コロンバイン高校の虐殺」事件にインスパイアされて製作されたことが解かります。犯人の二人は自分たちの高校で銃をぶっ放す前にボウリングを楽しんでいたんだとかのエピソードが有名だったからですね。9・11のちょっと前の現在よりもまだ何となく中産階級的で平穏そうに見えたアメリカで起きた凶悪な少年事件だったので、当時の若者カルチャー(レオ様の映画やらマリリン・マンソンのメタル音楽まで)の影響が取りざたされたもんです。それを茶化して「ボウリングの影響で高校性が虐殺事件を起こしたってなんで云わないんだい?」となったわけ。で、映画も最初はマリリン・マンソンのインタビューやらアメリカの目に見えるヤングなカルチャー談義から始まり徐々に目に見えないアメリカ開拓時期からの歴史、特に銃との関わりについての歴史について話が及んでいくのです。中々に面白かったはずなのですが、かなり昔に観たもんですから強く印象に残っているのが隣国カナダとの比較。映画でも中盤部の主要を占め、カナダの市民や若者たちにインタビューして彼らの率直な意見を引き出していたのを覚えています。映画に登場するカナダの人びとは観ていてもアメリカ人と比べてすべてにリラックスしているカンジ。若者なんか特にそう・・・でカナダの若者はアメリカの若者に比べてルックスも言動も大人びているんですが、大人びているからといっても顔つきからして知性の輝きが無さそう・・・という姿に何故かものすごい衝撃を受けました。(笑)子供っぽいけどやたら強い知性の萌芽を強く感じさせるアメリカのヤングと人生達観してるけど頭はあんまり良く無さそうなカナダの若者・・・こ、これも「銃の問題」とは少し外れるんだろうけど、根の深い問題なのかも・・・てつい思っちゃった、御免よぉ。

今思うと、いろいろ考えてしまう「チャールトン・ヘストン」について

 今見ると映画後半でムーア達が訴えたおかげで銃の販売をお止めたKマートが映画公開後に経営破たんしてライバル会社に吸収されたのも感慨深いんですが、やはり終盤ムーアが全米ライフル協会の会長であるチャールトン・ヘストンと直接対決するのは皆びっくりしましたね。日本でもおなじみかつての名俳優ですから。マイケル・ムーアが自宅に直撃して、ヘストンがなんかおずおず登場するシーンからして「なんか変だぞ」って不安になったし。後に彼がアルツハイマーを発症しているのを公表し翌年亡くなったという事実からしても映画でピックアップされていたヘストン会長の強気な姿は「ライフル協会のほぼ言いなりだったのね」って判断したくなってしまいます。チャールトン・ヘストンは保守派の政治思想の持ち主でしたが公民権運動もやってたし、70年代は俳優組合長もやっていた。ドナルド・レーガンチャールトン・ヘストンクリント・イーストウッドと政治的に保守派のハリウッドスターの流れってあるんですね。ハリウッドって共和党支持の人は少数派なんだけど、その代わり義理堅くて責任感が強いカンジ。ヘストンについては「自分の生まれ育った故郷の価値観がアイデンティティ」だから公民権運動で人種差別に反対するのも全米ライフル協会の会長になるのも米国建国の理念に忠実たれ、の精神で彼自身には矛盾はなかったはずだったんですが時代の変化はそうゆうの許さなくってきてヘストンも辛かったのでは?と思いました。マイケル・ムーアに追い詰められてインタビュー中に部屋から出て行ってしまうヘストンに哀しくなってしまうファンも多かったでしょうが、でもその一方でヘストンって【映画パンフ】猿の惑星 フランクリン・J・シャフナー チャールトン・ヘストンのみならず大いなる西部 [Blu-ray]でもヒロインの一人に軽蔑されていじけながら耐えていたり、ソイレント・グリーン 特別版 [DVD]でも皆にひたすらなじられていたり、なんたって全篇にわたっていじめられてもじっと我慢の子だったベン・ハー 製作50周年記念リマスター版(2枚組) [Blu-ray]が当たり役だった頃を彷彿とさせなくもないような・・・(おいおい)。マイケル・ムーアにしろヘストンと同様アメリカ中西部出身の「真面目タイプなアメリカ男子」ですしね、分かり合える接点が殆ど無くともせめてもう少し穏やかに対話できなかったのかと今になってちょっと思ってしまいます。

BL版 ドキュメント野郎!! ③ 「シュガーマン」

 

 地味に「凄いお話」、渋く「危険(ヤバい)な男」

 よくよく考えたら成し遂げたことは凄いかもしれないのに、地味・・・。という英雄(ヒーロー)の映画と言えばいいのでしょうか。ドキュメンタリー映画として2012年のオスカーはぶっちぎりで作品賞は取ったものの、観に行った先の劇場では途中から居眠りしていたサブカル好きそうな兄ちゃんがいたし。ドキュメンタリー好きの野郎どもにはあまり語り継がれていない映画。なんつうか、主役たるこのロドリゲスというお方、どっか女性的な部分があるんじゃないかな。もしも明石屋さんまのようなヒトがいて「SUGAR MOM♡」とかあだ名つけたら人気が出るとか・・・そんなオギママみたいなブレイクの仕方があるわけがないですからね、USって。だから突っ込みどころがないの。決して我が強くない人間ではないし、むしろ強烈頑固な一面が音楽にも日常スタイルにも存在するのに皆それを忘れてしまうというのか、彼の音楽に合わせて起こった現象が一見唐突で繋がりがないので、「そりゃあ大変でしたね、やりましたね長年の苦労が少しは報われましたね」としか言いようがない。しかもシュガーマンという男はそんな賛辞にも「まあね」ぐらいで淡々と受け止める・・・その姿がどっか中性的に映るんですよ。ちなみ私は映画の途中でようやく登場した彼を観て何故か「コイサンマン」の二カウさんを思い出してしまった。(笑)・・・あと言いにくいんですが「アクト・オブ・キリング」のアンワル爺さんにも共通するものを感じる。そりゃ、野心だの何だの脂っ毛が抜けてジジイになった処で初めてドキュメントのネタになるからだろうがっ、と突っ込まれればそれまでの話なんですが。ちなみドキュメント野郎たるに謎のシュガーマン=ロドリゲスを追いかけて映画にしたのはスウェーデンの新進監督だそうですが彼の方はどうしたわけだか三十代の若さで自死されたそうです。

当時の若者は皆、自分の過去の「青春」を静かに熱く語るけどぉ

 へっ、へぇぇぇ・・・そうなんだ、で感想が終わっちまうという、ごめんよ、アパルトヘイトのこと知らないからさあ私ら。1970年代の南アフリカアパルトヘイトでは黒人だけでなく白人の若者たちもまた人知れず閉塞感で暗かったんだそうだ。どうも他の先進国の最新文化が入ってくるのを忌避したり、思想の統制が厳しかったみたいだね。だから当時の若者(でもインタビューに答える当事者たちは皆かなり成功した風の50代以降のおっさん達なもんで)は熱をこめてロドリゲスの音楽、それもシュガーマン」のアルバムの一、二枚っきりについて語る。情報が遠い・・・というのは日本の洋楽でも同様じゃないかと思ったりもしたけど、70年代の日本の洋楽ロックの全盛期、あっちじゃ一発屋でも何でも日本じゃ大盛り上がりでフレンドリーに接してたのと比べりゃ確かにひそやかで地味なのかなあ。70年代半ばから80年代にかけてっつうと日本だとクイーンやらキッスやらディスコで一番華やかだったもんね。で、南アフリカで流行ってた「シュガーマン」は麻薬の売人を指す言葉、それを皆理解してたかどうかも不明だったけど、南アフリカの中間層の若者には熱狂的に受け入れられた。もっともすべて海賊版で紹介されてたのでロドリゲス本人には著作権料など一切入らなかったけど。監督の方はそれに強く憤りを感じていたみたいで、当時のロドリゲスのプロデューサーにも随分詰め寄っていたのが印象的だったんですけど、私自身の印象では当時の音楽著作権等の事情を考えるとなあぁ・・・インタビューに答えていたプロデューサーはそれこそ「こっちは別にロドリゲスで一人だけボロ儲けたという意識は無い」って顔にはっきり書いてあったような気がしましたしね。(当時の海賊版の利益が海を越えてUSまで入ってきたようにもあんまり思えないし)

そしてついに「ロドリゲス降臨」

 南アフリカではロドリゲスは既に死去といった噂が広がっており、当時一緒にアルバムを製作したスタッフさえも彼の消息を知らなかったのですが、後半に至ってあっさり判明します。ロドリゲスはいったん音楽を止め結婚して三人の娘を得たものの結局離婚し、土木作業員として働きながら娘たちを育て上げておりました。土木作業員時代のエピソードとして最も凄いのは「どんな現場でも出勤はスーツ姿で決めていた」というやつで、しかも写真照明付き、ほぼ「ステージ衣装のごときスーツ姿」が工事現場の背景とともに映し出されている写真には皆さんノックアウトされること間違いなしです(笑)でもロドリゲス氏という人物はどこまでも控えめな堅気の爺さんでしかないのですよインタビューで語っても語っても出てくる素顔はそればかり。南アフリカでの大ブレイクの話を聞いても「知らんかった」だし、南アフリカのロドリゲスファンが彼の消息を知って熱狂するや、いそいそと南アフリカでライブを行い、フレンドリーな熟練ミュージシャンとして楽しそうにパフォーマンスしちゃう。・・・で現在(映画公開後)ごく自然にUSでも表舞台に立ち、淡々とライブ活動に励んでいるそうです。娘たちも独立し、彼女達の援助ができればそれで良いらしいので(しかし娘たちは土木作業員時代の給料で大学まで行かせたっぽいぞ)ゆうゆう自適で音楽人生を生きているようです。


Oscar Winner Sugar Man - Rodriguez - LIVE

 

つうことで実際のプレイをご覧ください、でおしまい。